「ちゃんとご飯を食べる」のしんどい

「今日の晩御飯は何食べるの?」
と聞かれたら、わたしは大体この季節
「う~ん鍋ですかね~」
と答えている。

嘘だ。

昨日の晩御飯は、
山芋ときゅうりのサラダと

チョコパイとカールだった。

社会人6年目。
料理のスキルは特に向上することもない。

ご飯を作るのがめんどくさい。
無洗米を購入しているにも関わらず、それを炊くのすら。

おばあちゃんからの週一の電話、

「ちゃんと食べよるか?」
「うん」

食べてません。

「おごっそ(ごちそう)つくりよるんか」
「うん」

作ってません。

ごめんなさい。ダメ人間です。

言い訳させてほしい。

「おいしいごはんが食べたい」より
「ご飯を作る(諸々の作業)がめんどくさい」が勝つ。

あとめちゃくちゃにおいしいごはんが作れることって
数えるほどしかない。

お菓子のほうがおいしくて手軽じゃん。ってなる。
栄養が無くても。

晩御飯をお菓子で済ませてしまうことは、度々ある。
よくない。よくないなあ。

わかっているけど、
「ちゃんとご飯を食べなきゃ」と思えば思うほど
つらい。

三大欲求のうちの一つすらないがしろにして
ダメな人間だと、自分を責めることが。

「ちゃんとご飯を食べてる?」
自分のことを大切にしなさいと怒られているようで。

空腹は満たしているよ。

幼少期からお菓子を食べる習慣があったわたしは、
ひとり暮らしを始めても絶対にお菓子のストックを切らさない。

それでも社会人になりたてのころは、自炊を頑張っていたのだが。

時間がないわけじゃない。定時で退社する私は18時には家につく。
頑張れないのは意志の弱さだ。

それと、ご飯を作る(諸々の作業の)時間があるなら
創作や勉強をしたいと思ってしまう。

それはもちろん「ちゃんとご飯を食べて」健康的な体が
あってからこそなのだが。

「ちゃんとご飯を食べる」ことは、確かに
「自分を大切に扱うこと」であるが
こういう風に心を削られてしまうのだとしたら
必ずしもそうとは言えないのではないか?

起きて、働いて、ちゃんとご飯を食べて、寝て。

健康的な生活、基本的な生活リズム。
でもそれだけでは満足できない。

絵を描く、文を書く、歌を詠む、勉強をする。

何かを作り出していなければ、自分は自分を保っていられないと思う。
そのために「ちゃんとご飯を食べて」を犠牲にする。

ちゃんとご飯を食べない自分を許したい。
ちゃんとご飯を食べなくてもいいよね。
大丈夫だよね、きっと。

さんざん言い訳をしたが、まとめるとしたら
「料理するのが好きではない」だ。

それはもうこの6年間が物語っているのだ。

なるほど、「好きじゃない」から続かないんだ、自炊。

自分のためにすら頑張れないんだから、
誰かのために「好きじゃないこと」を頑張るとか
無理だろうな。

と25才、独身OLは思ったのでした。

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