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「酒でも飲ませれば?」は違うぞ

通常運転で自己中の夫に夕飯を作らず、外で食べおいでと見送った30分間。いろいろと心配してくれている義理の叔母に電話をした。

「夫がマタニティブルーです(笑)」

夫は義理の母と叔母に溺愛して育てられた。今もその溺愛は変わらないが、家族の仲間に入った私のことも大切にしてくれる。

夫の行動や思考の偏りもよく理解してくれるが、溺愛歴40年は今後も普遍だろう。

夫にストレスを感じているが、親子の溺愛に水を刺すのは気が引けるので、夫マタニティブルー説で笑い話に変えて電話をして話を聞いてもらった。私は詳しいやりとりまでは言わなかったが、精神的な負担を案じてくれて、それだけで心強かった。

ただ一点。「あの子にお酒でも飲んでもらって、ストレス発散できたら…」と話すので、そこは釘を刺した。

臨月はいつ産まれてもおかしくないし、マタニティタクシーは田舎では時間がかかる。夫がいるならその期間は不測の事態に備える、というのが常識だと。そして、それを守ってくれている夫に感謝していると伝えた。

時代は変わる。今読んでいる本『フランスの子供は夜泣きをしない』は、たとえ赤ちゃんについてでも、自分をコントロールできる幸せ(無限の欲求というモンスターに自分を乗っ取られない幸せ)について書かれている。夫は、この点が極端に弱い。溺愛の賜物だろう。赤子に『いつでも泣けば抱っことおっぱいが待っている』と学習させるのではなく、夜は眠ることや、泣いても自力で気を逸らすスキルを身につけさせるのが親の役目だろう。『イライラに酒…』は、そこから脱却できていない。というか、それは依存症の扱いだ。

「あまりに顔見るの嫌なら、実家に送り返して」と申し出てくれたが、私は逆をお願いした。夫を逃すのではなく、私がそちらに行きますと。子供が生まれてからも、夫が子どもと向き合って面倒を見て、私が休む為にそちらに行きますと。(なにせ、今でも夫は2邸を好きなタイミングでチョイスしているのだから。)

溺愛の方向を、父親育てに舵を切るのが、長い目で見て必要なのだ。70半ばの親たちが、10年後に同じ事ができるわけはない。親が夫を思う気持ちと、夫が親を思う気持ちは尊いが、死ぬまで夫の世話をし続けることを頼むのは酷だろうし、死んだ後にはポンコツ中年男性、育児スキルゼロが転がっているだけだ。私はそのポンコツを世話できない。

最終的に、私と夫が親として自立することが、少し先の目で見ると親孝行になるし、何より子供のためになる。たとえ育児で実践できなくても、私の考えを少しずつ分かってもらうためにも、この本を読んで欲しいなぁ。

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