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映画「福田村事件」を観た。

「なんだか面白そうな映画をするなあ」と思って観たその作品は、心をえぐるような感情を残していきました。

概要を知っていたために「この人たちが死んでいくんだ」と思うと、行商団の人数なんかを数えてしまう私が居た。


井浦新さんが好きです。

今回も素敵な演技をみせていただきました。嵐電は京都の路面電車を使って、織りなされるラブ?ストーリー。大学生の時、多用していたのでパンフレット買うほどです。

さて、話は戻りますが、福田村事件を観ました。ちいさなちいさなミニシアターで鑑賞。いつもはそんなに賑わうことのない映画館(失礼な)が、満員御礼、チケットを求める人たちでいっぱいでした。私はネット予約をしていたので、なんとか、ギリギリセーフでした。

まず、この映画を観てハッピーな結末はないので、ひとりで観た後のメンタルの持って行き方が不明だった。ひとりで車に乗って夜の街を運転する。気持ちが追い付かない。映像も音楽も頭から離れない。映画館を出る人々の顔があんなに暗いなんて。下を向いて出ていく人たち。「残忍だったね」と話し合う人たち。わたしは誰にも話すことができず、立体駐車場に向かってとぼとぼ歩いた。


1923年9月1日関東大震災直後「朝鮮人が略奪や放火をした」「井戸に毒を放り込んだ」といった流言飛語が東京で飛び交った。千葉県の福田村にて、聞き慣れない香川の方言を話す行商団が朝鮮人と決めつけられ、警察官に「日本人の可能性がある、待ちなさい。」と言われても、自警団は彼らを襲った。15人中9人が虐殺された。その中には、妊婦もいた。胎児を含めれば、10人。もうすぐ生まれる子供の名前は「望」と名付ける予定だった。そして、その人たちは、非差別部落の出身ということで、この事件は100年経った今も、大きく報道されることはなかった。


震災直後、100年前はまだテレビなど普及しておらず、どこから情報を得ていたのか。真相も分からず、ただただ聞き伝わってくる、正しいか正しくないかも分からない情報。人々は判断することもできずに、生きていた。ただただ、朝鮮人がなにかを起こすという情報だけは、みんなが信じて疑わなかった。政府による弾圧も進んだ。朝鮮人や社会主義者が殺された。

こういう事件が起きるわけです。

劇中で登場していたのはこの人。

「日本の改革を見れずに死ぬのは残念だ」的な言葉を残し「労働者万歳!」と言い殺された平澤さん。現在のろうきん設立の提言者。この震災は、実はもの凄くたくさんの人たちが死んでいる。朝鮮人、社会主義者など大量虐殺だった。


日本が外国にしてきた酷いこと、むごいこと、なにもかも、自分にとって気持ち悪い、目を逸らしたい、ような内容だった。そして、行商団が取り押さえられたときの、水道橋博士(役者さんですみません)の「天皇陛下万歳と言え!」「歴代の天皇陛下の名前を言ってみろ!」などのセリフが始まったときに、私は口を押えた。吐きそうだった。もちろん、行商団のひとたちは日本人なので、ちゃんと答えることができる。でもそれは、「逃れるために覚えているだけだ!」と信じてもらえなかった。なんでやねん。吐きそう。
村の警察官が薬売りの人たちかを確認してくるから、とその場を去った。その間も村人たち、自警団は殺気立っていた。殺せ殺せと言葉が飛び交う。主人公の井浦新さんやその奥さん、東出さんコムアイさんなど庇う人たちもいた。それでも一人の村人が、行商団のリーダーの頭を刃物で振り抜いた。振り抜いた女性は「震災で夫を亡くした、と思われる、妻。震災後の朝鮮人たちの言動で尚、朝鮮人が憎い」。デマが飛び交う中で、その女性の夫は震災で帰らぬ人になった、のだろうと言われていた。結論として、映画の最後のシーンで、返り血を浴びた妻のもとに夫は帰ってきた。

女のソレから始まる虐殺のシーン。途中退室しようかと思うほどえげつなくて、両手で口をふさいだ。本当にゲロ吐きそうだった。自警団といえど、田舎の村だ。誰も人なんて殺したくない。誰かがやらなきゃいけないが、みなも「自分がはじめの人」になりたくないのだ。殺す側も躊躇しているのがわかる。でも「誰か」がやったのなら、そこからは早い。「俺は何のために生まれてきたんだ」そう言って殺される若者。本当に吐きそうだった。


「集団心理」というのがこの映画のミソ。この事件はたかだか100年前の話です。100年前、今も大正生まれのおじいさんおばあさん居ますよね。びっくりだろう。きっと。こんなに化学は進歩して。でも、人間の奥底の部分なんて変わらない。
デマが流れるなんて今でもあることだ。
コロナのときを忘れましたか。
「あの家の、東京に出てた娘が帰ってきて、コロナを持ってきた。」
そんなデマを流されていたことを覚えていますか。
家に、なにかしませんでしたか。
ネットに、なにか書きませんでしたか。
本当かも分からない、「そうらしい」という話を周りの人たちに言いふらしませんでしたか。
あんたは加害者ではありませんでしたか。

人間は弱い。集団に取りこまれることで気持ちが安心するんだろうか。あなたは誰かを攻めていないだろうか。もちろんそれは、私にも問いかける言葉。人間の弱い部分は今も昔も変わらない。人の気持ちは簡単に揺さぶられる。水道橋博士が警察に「なぜ待っていろと言ったのにこんなことを…」と言われた時、「俺は悪くない。政府がやれと言ったんだろう。お前たち(警察)が・・・俺はやれと言われたからやったんだ」というようなことを言ったシーン。ここでまた吐きそうになる。そして水道橋博士の奥さんがそばにきて「あんたはよくやったよ。もういいんだ。あんたはよくやった」みたいなことを言うシーンで、またまた吐きそうになる。ちょっと無理。この時代を生きてない私には分からない。分からないけど、ただただ天皇陛下万歳なんだろう。なにも自分たちで考えることができない。埋め込まれた思考。なにかが起きても「上の人がやれと言ったから」と言えばいい。死ぬほど嫌いだと思いました。でも、そういう時代に生まれた人たちもまた、見方を変えれば「被害者」なのかもしれないな・・・と今は思いもする。

「朝鮮人だから殺してもいいんか」という瑛太の言葉も深いし。(実は当たり前。当たり前だけど当たり前すぎて、でも当時には思いもつかない言葉だったのかもしれない)
「俺たちはここで生きていかなければいけない。だからこのことは新聞に載せないでくれ」と言った村長の言葉が、田舎の閉鎖的なかんじを表していて、またゲロ吐きそうだったし。
そして、映画のレビューサイトを見ていたときに「無駄に恋愛描写が多かった」「東出・・・」みたいなコメントが多かったんだが。恋愛描写や不倫など、ああいうのが織り交ぜられていたのは「今も昔も人間は変わらないから」ということを感じるため、だったのかななどと思った。人間の本質は変わらない。だからこそ、そういう部分も混ぜてくれたんじゃないかな。東出さんを起用したのも、あの役柄だったのもすごいと思ったけど、でもそこにも「あえて」があったんじゃないか、とか。ピエール瀧さんもそう。「起きてしまった」「起こした」さまざまな出来事の後。その後の彼らを、見てくれたんじゃないか。


人が真実を見つけられるのはその人、物事、出来事と対峙したときだけだと思っている。人から人へ伝わる文字、言葉、では考えきれないものがある。だから人の話は話半分で聴くべきだと思っている。自分が経験したもので、自分は判断をする。そんなふうに生きていきたい。でももしかしたら、自分も脆くて弱くなるときがやってくるかもしれない。案外簡単に強く思っている意志は砕かれるかもしれない。人間だからね。

あなたが感じたものがすべて、わたしが思うことがわたしの感情。でもどうか誰かを傷付けることは、しないでほしい。しないように生きていきたい。

こんな事件がもう二度と起きないでほしい。と思ったけれど、でももう起きているのかもしれない。心は殺されている。ロシアとウクライナの戦争が続いている。もしかしたら日本だっていつまでも安心安全な国でないかもしれない。もはや、そんな国ではないのかもしれない。


なんだかうまくまとめられません。ものすごい映画でした。その映画を観た日、私は夜ご飯を食べることができませんでした。胸いっぱい過ぎて。ものすごい衝撃を与えてくれた福田村事件。もし、もしも、興味を持ち、観てみたい。観る。と思ってくれた方がいたならば、ぜひ観た感想を教えてください。



自分は自分で選べる人間になる。取捨選択できる人でありたい。自分の気持ちを忘れずに生きて行く。

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