世代の移り変わりについて想うこと

先週、Facebookの投稿で「もし打倒石川佳彦に燃える選手がいたらいつでもDMほしい」と書いた。実際に数名の選手からDMが来た。自分が走ったレースの中では出逢えなかった選手だ。彼らの今後に何ができるかを考える中で、24時間走について想いを馳せている。

限定された周回コースで人が24時間走ること

それを自分は16年間打ち込んできたけれど、それそのものには特に意味は無いと思っている。ただ、その試みに意味を吹き込んだランナーがいる。

ギリシャのランナー。イアニス・クーロスだ。

彼はこの競技に人生のある時期を費やし1997年に303.506kmの記録を残した。その世界記録はこの23年間、まだ誰も破ることが出来ていない。

イアニス・クーロスに挑み続けたランナーはいた。若き日の関家良一選手だ。彼は一度もクーロスには勝てなかったが、クーロスが去った後のこの競技で王者であり続けた。自分が24時間走と出逢った23歳の頃、すでにクーロスはいなかったが関家良一はいた。彼を破ることに20代の多くの時間を費やした。関家良一には勝てなかったが、伝説のウルトラランナー、スコット・ジュレクには勝った。

「20代初の24時間走世界王者」誰も自分をそう呼ばないから、自らその看板を掲げて台湾での過酷な競技挑戦を続けた。その節目となる2016年台湾横断246kmレースの渦中で、106kmの部に出場していた石川佳彦と出逢った。当時、100km走での日本代表入りに失敗した彼が24時間走を始めたのがその年だった。自分が彼に影響を与えたかはわからない。最初の出逢いから1年半後、彼は自分の持つ最年少世界タイトル獲得記録を塗り替えた。24時間走を競技として挑む選手は、増えた。

今もまだクーロスのもつ303.506kmを破るランナーは現れていない。自分達ウルトラランナーが存在する以前の人類200万年の歴史の中でもいなかったんじゃないかと想う。ただ石川佳彦は、今もクーロス越えを狙っているのだろうと感じる。トレイルの世界王者キリアン・ジョルネもクーロス越えを狙い24時間走へ挑むらしい。

ウサイン・ボルトをめざすのも、イアニス・クーロスをめざすのも、エベレスト単独無酸素登頂をめざすのも、似たようなものだと思う。そういう人間が、挑戦の果てに残す言葉を聞いてみたいと思った。

200km〜1000kmのウルトラマラソンへ挑むランナー専門のコーチングを仕事として始めようかと考えている。自分には、そういった特殊なランナーに対応するための経験と実績ならば、ある。

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