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アルス・エレクトロニカで久保田が人気爆発!そして長岡花火とアルスの意外な関係

予想外のことが起きた。

オーストリア、リンツで開催中のアルス・エレクトロニカの40周年を記念して開催された河口洋一郎先生のSake Partyで、とにかく長岡の銘酒、「久保田が美味い」と評判になったのである。

このようなことは過去のSake Partyでは起きなかった。なぜならば開催地が東京だったりロサンゼルスだったり、そもそも「久保田は高級酒」ということがある程度認知されている土地では、「久保田が美味い」は当たり前の話であり、ことさら大騒ぎすることもなかった。そもそもSake Partyは主にSIGGRAPHで行われ、参加する人たちも基本的には一流大学の偉い先生ばかりなので、高級酒は飲み慣れている。

ところが、アルス・エレクトロニカの参加者は世界中から集ったアーティスト。
普段、自分たちが表現活動に情熱を捧げる一方で、すごく裕福な人というのは一握りに過ぎない。そうした人たちの間で、「久保田すげえ」という評判が広まったのは、個人的には大変うれしい話である。

どのくらい久保田が高く評価されたかは下記の動画を参照されたし

両方とも後半のほうで久保田の話が出てくる。

しかし、さらに驚いたのは、アルス・エレクトロニカと長岡花火の意外な関係である。

子供の頃、親につれられていまの千秋が原と呼ばれる場所に行った記憶がある。
なんでも、東京の偉いゲージュツ家の先生が、花火とコンピュータ、レーザー光線と音楽を組み合わせた全く新しい芸術に挑戦するのだと言う話だった。

実際に見たその「作品」は、たしかに音楽と花火がシンクロしていたが、まだ小学生に入ったばかりのガキんちょだった僕は、「なにがいいのかさっぱりわからん」と思ったものだった。

それから数十年の時が流れ、ある時、樋口真嗣監督から「冨田勲の追悼記念コンサート」に誘われた。冨田勲・・・聞いたことあるな・・・と思ったら、子供の頃に見た花火を作った人だった

そして昨年もアルス・エレクトロニカに来ると、いまは亡き冨田勲さんと、その年はたまたま来れなかった河口洋一郎先生の話になった。アルス・エレクトロニカはいまでこそ世界最大の電気芸術祭と呼ばれているが、もともとはブルックナー音楽祭と起点としており、スタートした当初、拠り所としたのは当代一のシンセサイザー(合成音楽器)の使い手、冨田勲であり、その直後に招聘されたのがコンピュータグラフィックスを芸術の域にまで高めた芸術家、河口洋一郎だったという。

そんな話を石井裕先生にすると、

「え、じゃあ冨田勲と長岡市ってそんなに深い関係にあるの?いまでもコンピュータ制御の花火大会ってやってんの?音楽と組み合わせた」

「何言ってるんですか石井先生。長岡花火の呼び物、フェニックス花火も金さん銀さん花火も、天地人花火も、音楽とコンピュータ制御の花火がバッチリ連動した、ミュージックスターマインですよ」

「それが冨田勲の発案だとしたら、アルス・エレクトロニカでもやってるはずじゃない?調べてみなよ」

果たして、調べてみると石井先生の仰る通りだった。

なんと、2003年の東日本震災の復興祈願花火であるフェニックス花火に、ジュピターという曲がついているのは、まさしく僕が少年の頃、信濃川の土手で見たあのミュージックスターマインだった。そして、冨田勲さんは「ジュピター」と「火の鳥」(!!!)という曲を披露したそうである。コンピュータ制御の花火とシンセサイザー音楽の組み合わせは世界初であり、ここから全てのミュージックスターマインの歴史は始まった!マジですか

火の鳥(フェニックス)、ジュピター、だから当時、ホルストの名曲「ジュピター」に歌詞を乗せて歌う平原綾香がわざわざ一番に駆けつけ、復興を祈念して歌ったのだ。

さらにはその頃、オーストリアのリンツのドナウ川湖畔、まさに今、アルス・エレクトロニカ・センターのある場所で、冨田勲は音楽祭に出ている・・・・っていうかそれ、アルス・エレクトロニカじゃん!!!!!

おい、なんで今まで誰も教えてくれなかったんだよ!・・・って、知るわけないか

しかも動画まで残ってる

長岡市は全力で当時の映像資料を探すべし!絶対あるはず。見つけたら、それがベータマックスだかろうがUMAXだろうがベーカムだろうが、たぶんどうにかなる。

というわけで衝撃さめやらぬ、なんとも言えない因果を感じつつ、今日も夜7時からYouTubeのプレミア配信をしますのでみなさんよろしく

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