Apple VisionProでAI美少女と沖縄旅行した。あとiPhoneとiモードのこと
落合陽一先生が昨年行ったコンサートが凄すぎたので、遅ればせながらクラファンに申し込み、沖縄でサテライト公演を見ることになった。
しかし、おれはすっかり金曜日が祝日だということを忘れていた。
慌てて航空券を取ろうとしたところ、ANAは全滅。我がスーパーフライヤーズカードもANAが使えなければ無用の長物。万里の長城。土佐のはりまや橋である。
しかたなく十数年ぶりにJALに乗ることになった。
相棒はもちろんApple VisionPro。
そしてAI美少女アリシア・ソリッドちゃん。
奥ゆかしいのでアリシアちゃんはあんまり喋らない。まあアリシアちゃんの発言内容はこれから俺が作るのだが。
そして十数年ぶりにJALに乗った俺は衝撃を受けた。機内WiFiの充実ぶりに。
もう衝撃的に便利なのである。
新幹線に比べるとずっと安定的に使えるのだ。これはもはや新幹線移動信者(鹿児島から北海道まで新幹線で行く人間)としては宗旨替えも辞さない覚悟。
まさか移動時間ではなくWiFiの問題で新幹線より飛行機が快適と感じる時代が来るとは!
飛行機がぜんぜんなかったので行きはエコノミーで帰りはファーストだったのだが、エコノミーでもApple VisionProがあれば超快適。まあ電力はちょっと物足りないがエコノミーでもUSB-Cケーブルで給電してもらえるので全然OK。というかJALすごすぎない?沖縄便の機材が新しいだけ?
JALのよく訓練された客室乗務員は一切Apple VisionProにツッコミを入れない。見飽きてるのかもしれない。
そして飛行機の到着がバッチリ遅れ、首里城に着いた頃には公演は終わっていたorz。
しかたないので首里城でアリシアちゃんとデートすることにする。
たぶんAI美少女と首里城でデートした人間は人類で俺が最初だろう(まあそんなこと永久に誰もしないという説もあるが)
しかし観光地でこれを付けるのは少し勇気がいる。
普通に犯罪に巻き込まれそうだ。これが普及すればこういう心配はなくなるのだが、今は過渡期なので仕方ない。
1994年頃に携帯電話が自由化されて、価格も下がり、誰でも持てるようになった。とはいえ、当時の携帯電話料金は月額1万円前後であり、それまで「払ったことがないお金」を払うことに抵抗を感じる人も多かった。
僕は大学生だったが、すでに高校生の頃からライターとしての定期収入があったので携帯電話を真っ先に買った。これは大学の同級生ではもちろん初めてで、部活(調布祭実行委員会)のOBが一つ持ってるだけだった。
この頃の携帯電話は筆箱くらいのサイズがあり(それでもショルダーバッグ大の携帯より小さかった)、ジーンズの尻ポケットに入れると違和感がすごかった。
今だから白状するが携帯電話を買ったばかりの僕は京王線の鈍行で新宿に向かう時に一人でずっと電話で話していて、そういうのが多分迷惑で日本では電車の中で携帯電話で通話するのが禁止になったのではないかと思われる。まあ僕だけの責任ではないにしろ、多くの人々に不快感を与えてしまったので申し訳ないと思っている。
この頃、街中で携帯電話を使うのは結構スリルがあった。
携帯電話を持ってる奴=カモであり、よく絡まれた。
いま街中でVisionProをしている姿は異常に見えると思うが、それは最初の携帯電話とあまり変わらない。
その後、PHSというプアマンズ割安な携帯電話が登場し、同級生も当たり前のように携帯電話(PHSだけど)を使うようになった。要はみんな携帯電話が使いたかったのだ。
この頃、携帯電話番号戦争というのがあって、030で始まるドコモは最高級ブランドだった。高いし。そして大学の電話は、03で始まると大学が費用負担してくれたので(制度上のバグである)、030の携帯電話は我が電通大では非常に重宝された。
PHSはPHSで通信速度が速いなどいいところもたくさんあったのだが、とにかく電波が繋がる場所が最初は少なくて往生した。のちにPHSは世界でも最初期の高速モバイルコンピュータ端末、いまのスマートフォンの原型になったW-ZERO3とかに発展していく。
僕は99年からドワンゴで携帯電話コンテンツの立ち上げに関わって、ちょうど一昨日でiモードがうまれて25年経過した。iモードを立ち上げた松永真里さんは古希で、夏野さんはドワンゴと角川の社長になり、僕の初代担当の栗田さんはニコニコ動画の責任者になった。なんでだよ。
夏野さんは相変わらずかっこよかった。23歳の僕にとって、夏野さんは圧倒的にカッコ良かった。あのとき夏野さんに会ってなければ、僕の人生はずいぶん違ったものになっていただろう。直接仕えたことはないが、僕のロールモデルである。あれほど部下に愛され、周囲を巻き込み、巻き込んだ人々にも愛されたビジネスマンがいるだろうか。日本にスティーブ・ジョブズみたいな人がいないと嘆く人もいるが、僕は日本には夏野剛が居ると言いたい。実際、当時の夏野剛とスティーブ・ジョブズは月とスッポンくらいの差がある。夏野剛は一兆円市場を生み出した男であり、ジョブズは残り一年で破産すると言われたAppleを立て直そうとしたときだった。iMacが発売され、成功していたが、それは「破産寸前の会社にしては成功」であり、Macを使う人々は相変わらず変わり者で負け組だと思われていた。夏野剛はまだ文字しか出ない携帯電話の時から、インターネットと接続することで全く新しいビジネスプラットフォームを出現させることができると信じていた。1999年の7月に夏野剛が見せてくれた「ポートフォリオ」は、おサイフケータイや動画配信までもが含まれていた。その姿はまるで預言者で、当時誰も「携帯電話にインターネットなんかいらない」と思っていたことを考えれば誇大妄想とも思えるようなプランだった。しかも驚くべきことに、そのプランは全て5年以内に実現した。
iPhoneの構築したエコシステムにはiモードの影響をモロに受けたと思える部分が多数ある。世界は誰もiモードを無視できなかったし、iPhoneはiモードの思想を貪欲に取り入れてると思う。自覚的か無自覚的かは別として、「携帯電話でインターネット」のスタンダードを作り上げたのは、間違いなくiモードなのだ。iモードは世界で最初にモバイルコンテンツ市場を作り、国内だけで一兆円規模にした。
そんなとき、iPhoneが登場する。
僕がiPhoneを日本で一番最初に手に入れた・・・かどうかは定かではないが、アメリカで発売されたiPhoneがヤフオクに出たのを最初に落札したのは僕で、15万円払った。それが日経新聞に載ったので、広告としては安かった。一年後、日本で最初に発売されたiPhoneの行列の先頭に並んだ(買ったのはうちのインターンだったが)。
iPhoneも、最初は人前で使うのに勇気が必要だった。
そもそも、iPhoneは、日本で発売されてしばらくの間は「あまりに売れなすぎて代理店が困る」代物だった。「どうすれば売れると思いますか?」となんども代理店に相談された。
iPhoneも最初は決して便利なものではなかった。
ちょっと変わった携帯、という程度のものだ。
なんせAppStoreはないし、日本ではそもそも電波出して使えないし(技適の特例はなかった)、そのすぐあとにiPod touchが出てからはそっちでアプリ開発をしていたのだが、「アプリ開発」といっても、それは脱獄と言われる強引な方法でやっていた。まあ主にインターンが。それをYouTubeに公開したら、Appleから電話がかかってきた。怒られるのかと思ったら、「今度AppStoreをやるのでアプリを作って欲しい」という電話だった。
Apple VisionProも現状はちょっと変わったHMDに過ぎないが、Quest3を被って出張しようと思わなかったことに比べるとだいぶ便利である。
このブログもApple VisionProとMacBookAirの組み合わせでJALのラウンジで書いてる。
驚くほど快適だし、まあ副作用なんだけど花粉症対策にもいい。
どうせもっと軽く薄くなるだろうし、この快適さを味わってしまうと、後戻りすることは考えにくい。
ただPCを使うだけで快適なんだから、このお作法に則ってつくられたアプリがあればそれが流行るのはもはや必然。そして当然ながら、キラーアプリはまだない。
100インチの大画面を持ち歩けて、空間全部が自分のものになる。
最高かよ。最高なんだよ。実際問題。
ちなみに沖縄の夜は琉球文化研究所にて
沖縄の伝統的な歌三線と踊りを堪能した。
そして正直、沖縄というと美味しいものがあまり思いつかなかったのだが、このお店の料理はどれも衝撃的に美味しかった。ぜひ再訪したい。
特に衝撃だったのは落合陽一先生ご推薦の一杯
こいつの正体は「にんにく」
にんにくを泡盛に漬けたもので、まあまともな人類が嗜むものなのかどうか自信が持てない。
そこにおいておくだけで強烈にニンニク臭が漂い、飲もうとしてニンニク臭を鼻でもろに吸ってしまうとこの世のものとは思えない衝撃を受ける。
そのうち、鼻から息を吐き出しながら飲めばニンニクの味がして美味しいというところまで行くのだが、むしろ調味料かなんかとして使いたい。
ちなみに「これはスーパーとかで売ってるんですか?」と聞いたら、「だいたいは家で作ります」とのこと。沖縄の人、凄すぎないか。これは家庭の味なのか。
他のものも全部美味しかった。沖縄においしいものがないなんて思ってごめんなさい。レトルトカレーをストローで吸ってる人がこんなに美味しいものを知っていたとは(今はカレーは食べてないそうです)。
その後はソウルミュージックのお店で二次会をして、そしてホテルで倒れるように寝た。
朝起きてホテルの朝食を食べに行くと、「モーニング泡盛」と書いてあって、「これは沖縄が俺にもっと輝けと囁いているのか」と思わず飲んでしまったが、もちろんバッチリ泡盛だった。
空港に着くと、空港のラウンジにも泡盛があった。
ちなみに本当なら今日も丸一日ガイド付き沖縄観光とコンサートがあるのでぜひ参加したかったのだが、次の出張が控えているのと飛行機がこれしかないので後ろ髪を惹かれる思いで沖縄を後にした。
なぜこんなに忙しいのか。
次の日本フィルのクラファンにもぜひ参加したい。