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英語の勉強をしろとは言わないが英語をみてビビるような人間になるべきではない。

なんか僕は英語とか得意ではないし、発音はめちゃくちゃだし、昔Gizmodoの米国版に英語で喋る僕が出た時は「プログラミングよりまず英語を勉強しろ」と、英語しか話せないような連中から罵詈雑言を投げつけられたこともある。

あのな、英語なんかその国に住んでりゃ幼稚園児だって喋れるんだよ。幼稚園児が9分でゲームを作れるか?まあいいんだけど。

だからまあ僕は決して得意ではない。得意ではないのだが、英語で話す奴らが現れてもビビらない。当たり前だ。使う言葉が使うだけでなぜこっちが萎縮しなければならないのだ。

しかも今は自動翻訳がある。自動翻訳があれば中国語だってロシア語だってイケる。英語にビビらなければ相手の論文が中国語だろうがロシア語だろうがウクライナ語だろうが関係ない。ちなみになぜ中国語とロシア語を引き合いに出したかというと、最近はやりの「絵を描くAI」の研究の本場は中国とロシアだからだ。

ロシアはRuDALL-Eというロシア市場最大規模の機械学習プロジェクトを行なってその成果を無償で公開しているし(なぜかDALL-EをつくったはずのOpenAIは未だに完全なDALL-Eを公開していない)、中国は独自にCogView、およびCogView2という画像生成AIを発表している。一年も前にだ。

僕が最初に「絵を描くAI」のコードをいじったのは、たしかスペイン人の書いたコードだった。だから変数名がスペイン語で、自動翻訳を使いながら意味を追っかけていったものだ。まあそんなに難しいプログラムじゃなかったから、もとがスペイン語だっていうのはほとんど意味がなかったが。

というわけで、僕は外国語に抵抗がない。
でもなんか、最近、周りの人たちが、「英語が・・・」と言ってることが少なくなくて、「え、なんでだよ」と思うわけだ。話すのはともかく、読むのは簡単だし、話すのにしたって発音がひどいのを除けば別にどうだっていい。どうしても綺麗な発音で聞かせたいなら音声合成すればいい。まあでもザックが今作ってるエンドツーエンドの翻訳AIは、日本語で喋った音声をそのままのニュアンスと声で英語にしてくれるから時間の問題である。

技術的なことはさておき、英語で書かれた情報にアクセスできないというのはエンジニアとして致命傷だ。これは昔から言ってきたことだ。

昔、僕が高校生の頃はインターネットなんて普通の人は使えなかった。
だから外国の情報は、新幹線に乗って東京に行って秋葉原の書泉ブックタワーの2Fのものすごく狭い洋書コーナーで7000円もするような本を買うしかなかった。高校生にとっては恐るべき出費だが、そうまでしてでも知りたいことがあったので、僕は喜んでバイト代を払った。

昔は同じ本屋の同じフロアに置いてある日本語の本と英語の本で、30年分くらいの世代格差があった。日本語で書かれていることは、英語圏の30年前の古い常識であり、英語圏ではとっくにもっと先に行っていた。同じ本屋の同じ部屋、へたすりゃ棚まで同じなのに、読める情報が全然違ったのだ。

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