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今日、ドンキホーテを辞めました。

シェリーですえ。
今日は、ドンキホーテを夜勤で働いていたフリーランスを辞めた件について。

ドンキは前から憧れの店舗でした。
PPIHってかっこいい外資系だし、大型店舗立地法っぽいし、何より広島市のランドマークだ。
そんなドンキに入るのは難易度が高かった。
ナンですが入れました、天才だから。

僕は就活生の頃にドンキは見てませんでしたが小売業界で芋蔓式をやれば必ず出てくる会社のようでした。
僕がセブンイレブンがありなようにドンキホーテもありです。
他にもイオンとかサントリーもありですね。
丸紅とか双日もありです。
そういう就活の妙がドンキにはありました。

ドンキの夜勤はレジコンというポジションでした。
要は接客販売で、相手は外国人、若者、都会の家族連れなどです。
たまにはど貧乏な客がメシを三桁で買っていきます。
格闘家っぽいお客さんに軽くビビったこともあります。
オナホを買っていく若年男性も多いです。
イケてるサラリーマンや壮年男性も多かったです。
衣料品から薬品、食料までナンでも売っています。
それがドンキです。
家電や家具まで売っています。
工具やピアッサーまで売っていました。
それもドンキでした。
とにかく激安の百貨店。
そんなドンキホーテに僕は没頭しました。
面白いというより充実した世界がありました。
僕は、ドンキの夜勤をスリラーバーグ編だと捉えていました。
ペローナとかホグバックがいました。
僕はさながら迷いこんだルフィやチョッパーでした。

そして、ドンキにあったのはユニクロ以来の通信機器に制服、そして髪色自由の制度でした。
髪色は自由だったので軽くラテ色に染めました。
制服は途中まで青白のシャツで、途中からオレンジのポロシャツでした。
通信機器は耳が慣れてくると使えるようになりました。
よくお客さんに問い合わせをいただいていたので通信機器を使ってフロアの担当に聞いていました。
お客様対応が上手かったように感じられますね。
質問対応は上手い人材のようです。
レジコンでの通信機器はそこそこの腕でした。
専用モバイルもあったので必要以上の通信知識技能は必要でした。
やや難しい技が鍛えられました。

途中から店長の采配でレジコンから清掃に代わりました。
清掃は昼に一ヶ月やって夜勤に回りました。
夜勤で一人で清掃をやる感じが耐えきれなくて欠勤を重ねました。
そうして僕は電話で退職希望の内容を店長に告げました。
店長も納得したようでした。
体調不良が多かったので、仕方ないですし、顔が悪くなるのは芸能職として耐えきれないモノでした。
レジコンは主婦とチーフに受けていたのにどうしてか夜勤清掃に当てられたのでとにかく不服ではありました。
同志社だし下限攻めろよみたいなのがあったようです。
しかし、レジコンからは戻ってきて欲しい声が多かったと聞きます。
なのに店長が頑なでした。
東京吉祥寺の店舗から来た店長らしく、東京基準でした。
もっと下手に出ればよかったのかなと感じられます。
東京にも下限の人材はいます。
そこに変化の兆しはあったかもしれません。

とにかくストレスフリーではなかったですし、激安のモノに囲まれてしんどかった。
店員は強くて歯応えはありましたが、Wワークで出来るほど重さは軽くなかった。
片手間にできる仕事ではありませんでした。
まあ、ドンキホーテ自体に恨みはないので今回noteにしたためました。
また、こういうことのないよう反省して見返したいですね。
新卒でありだった会社に当たるか、ステイトオーブンに得な会社を見つけるか、上級志向で新しい会社を受けるかって感じです。
これからのフリーランスウェイに期待大です。
まあ、ステイトかつフリーランスのシェリーにご期待下さい!!!

小説執筆家・評論著者として創っていく気概は十分あるので応援・サポートよろしくお願いいたします!いずれ本になる日を待ってください。できる所から動きます!