ソレ往け!ヤレ征け!我ら昭和軽薄隊!!

皆さん、文章を読んでいてどことなくさぶいぼゾゾゾ〜ッという心持ちになったことはないだろーか。

そして(!!)、賢明なる読者諸君なれば、今マサに、ボクの書いている文章が、その類いであるとゆーことにも、おきづきなのではないかナ?果たして、そのとーりなのでR。








はい。

ということで今回は、所謂「おじさん構文」に近しい文体であるところの「昭和軽薄体」について書こうと思います。


昭和軽薄体。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C%E8%BB%BD%E8%96%84%E4%BD%93

ざっとした説明はWikipediaに任せるとして。

主に以下のような特徴を持つ文体である。


・1980年代に流行。

・くだけた口語をそのままに表記する。

例「アタシさァ、○○なのよネェ」

・だろうか→だろーか のように、長音を伸ばし棒にする。

・やたらとカタカナに置き換えてみる




私はこのどことなく薄ら寒い、でも嫌いになれない不思議な文体に、名称が与えられていることを知らぬまま過ごしてきました。

『ちびまる子ちゃん』、『こどものおもちゃ』ほか、いくつかのちょい古め少女漫画に親しんでいた小学生のわたし。そのラインの作品を開けば、かなりの高頻度で昭和軽薄体の表現を見かけたものです(関係ないけど、少女漫画のコマ外に書いてある作者のメタツッコミが好きでした)。


その後幾時代かがありまして、マーガレット、少年ジャンプ、KADOKAWA系列の青年誌など、漫画遍歴が豊かになるに従って、わたしはすてきな語彙とおいいいぃツッコミ、宗教ギャグを手に入れてゆくことになります。


更に数年経過、インターネットにどっぷり浸かり、オタクとしての街道を爆走し始めた中学生のわたし。アララッアッアー(爆走夢歌)。

今や漫画も小説もアプリでスイスイカクヨムな時代ですが、スマホを与えられなかったわたしにとっては、親のPCが頼みの綱でした。魔法のiらんどに小説を投稿したり、当時バチクソ不便だったpixivにアクセスして某擬人化漫画のセンシティブ二次創作漫画に文字通り傾倒したり。



.*・゚ .゚・*.そんな日々だった….*・゚ .゚・*.



(また余談ですが、魔法のiらんどに関しては、コピペという概念を捨て去って本文の投稿スペースに漢気一本の直接打ち込みを敢行、うっかりブラウザバックしてデータ全消失、なんてことを繰り返していたものです。アホちゃんと呼べ。)


高校からは自分にとっての身近なインターネットは、ほぼSNSに置き換わりました。他人の動向がとにかく気になる日々は続きます。

漫画やアニメには以前ほどの思い入れがなくなってきた2019年のある日。


私は思いもよらぬ形で「昭和軽薄体」と再会することになるのです。



Vtuber、ジョー・力一(りきいち)



やっ、帰らないで。

また推し語りかコイツと思ったそこのひと、ヘンなことしないからまだ帰らないで。

たしかに彼が発端ではあるけれど、今回の主題はそこじゃございやせん。


さて、今月13日、晴れて6人組音楽ユニットのひとりとしてメジャーデビューを果たした彼ですが、実は去年の12月、両国国技館で行われたLIVEイベントにて、ある曲のカバーを披露していました。

『林檎もぎれビーム!』。

『かくしごと』の久米田先生が連載していた『さよなら絶望先生』のアニメ主題歌です。

そしてこの曲を手がけたのはあの大槻ケンヂ。


力一氏は自身の配信で、オーケン(大槻ケンヂ)のファンであることに度々言及していました。筋肉少女帯縛りで歌配信を行ったこともあります。

リスナーであるわたしがオーケンに興味を持ちはじめるのはきわめて自然な流れだと言えましょう。


サブスクの範囲で、りきちゃんが取り上げた楽曲はほぼ全部聴きました。語るような、叫ぶような、はたまた絞り出すようなオーケンの声とロックサウンドがいつのまにかクセになり、登下校時は筋少と特撮を聴きながら電車に揺られるようになりました。


何度も聴いていると歌詞のおもしろさにみるみるはまっていきます。文筆家としても知られている大槻ケンヂなら、本もまたおもしろいに違いない!

ヨシ買おう!何を?エッセイを!

と思うのにそう時間はかかりませんでした。


疲れてきたので一旦休憩いれますね。







★まめちしき★

タモリはかつてオールナイトニッポンで「つぎはぎニュース」※ニュース音声を切り貼りして事実無根の嘘ニュースを作るコーナーをやって、NHKにマジで怒られたことがある。







はい、休憩おわり。


どこまで話したっけ。

そう、オーケンのエッセイです。

欲しいな〜読みたいな〜とぼんやり意識したものの、特に既刊について調べるでもなく書店を訪れた私は、前述のアホちゃんを見事発揮してしまい、ぜんぜん関係ないボールペンを買って帰ってきてしまいました。私は何故…。


ダラダラと数ヶ月が経過。

買い物帰り、近所の古本屋、店頭の投げ売りワゴン。

その中にあったのです。

なにが?大槻ケンヂが!


ギチギチに文庫本の詰まったワゴンから引っ張りあげたのは、『行きそで行かないとこへ行こう』と題された新潮文庫でした。

いつからここに居たんだかこの本、表紙は日焼けして色褪せちゃってるし、栞紐は解れて無秩序的扇形になってるし、パラパラ捲ると謎のカスが出てくるし。決して清潔ではなかったのだけれど、思いがけずオーケンに出会えたうれしさで値札もみずに店の奥に持っていきました。


「ゴジュエンネ」。ニット帽、メガネ、白い髭の店主が、しゃがれた半角カタカナ音で値段を告げます。「いろいろマジかよ」と出かかった言葉を飲み込んで50円玉を出し、わたしは店の引き戸をガタピシ言わせながら外へおどり出ました。


さあ、ここが君のあたらしい家だよ。

部屋の灯りを付け、買ったばかりのテーブルの上に置いてあげると、文庫本はこころなしかボースカ的な声で「ウン!これからヨロシクね〜!」と挨拶してくれた気がします。一人暮らしって怖いね。


そういえば、この「よろしくね」を「ヨロシクね」と表記するの、個人的にあんまり古さを感じないというか違和感ないんですけど、私と同じく20代前半の人々はどう感じてるんでしょうか?

ざっと調べるに、本来ならば漢字・ひらがな表記が一般的な言葉をわざわざカタカナにするのも昭和軽薄体の特徴だそうで。意外と死なずに現代に流れ入る表現もあるのかもしれませんね。不死川(しなずがわ)!!


さて肝心は本の内容ですが、期待通りの昭和軽薄体っぷりでした。Kハクなヒョーゲンがワンサワンサと出てまいりました。アホちゃん大歓喜。
いやしかし、文体はさておいても、ぶっ飛んだ体験談とそれを回収する構成、機知に富んだ表現はしっかりと面白かったのです。今度は別のエッセイ買おう。


あのーそろそろこのnote、終わっていいですか?最早どれが本当のわたしかわからなくなってきました助けてください。


今のTwitterで使われる過剰な言葉(5000兆円欲しいとか)と昭和軽薄体を関連付けて、前者を「令和軽薄体」とか勝手に名付けて格好良く〆るつもりが、脳にシリアスな混乱を来す始末。


ともあれ、言葉はそのときどきに合わせてだいじに使ってあげなくてはですネ。
また来週。

ドカーーーーーーーーン!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!(爆発オチ)