成功と失敗の間/『シャドウラン 5th Edition』コラム11
01 前口上
この記事は新紀元社から発売されている『シャドウラン 5th Edition』日本語版ユーザーに向けた言い訳です。
記事の閲覧・利用に関する前置きは下の記事を参照してください。
02 ゲームとゲーム体験の温度差
この十年ほどの間に、国産・海外を問わずTRPGシーンは様変わりしました。かつては、大量のデータブックを売ってたくさんお金を出したプレーヤーがセッションでも活躍するというような、ある意味では「Pay to Win(お金を出した人が勝つ)」とも言えるスタイルが主流だったと言えるでしょう。現在でもそのようなスタイルのゲームは(『シャドウラン』をはじめとして)残っていますが、以前よりは明らかに市場における占有率を減らしました。
現在のゲームデザイン・シーンの主流は、プレーヤーにゲームではなくゲーム体験をパッケージとして売るスタイルに移っています。データブックを売るのはそれなりに利益率が高かったのですが、マンパワーが必要であるということと、データの質を均質に保つのが難しいという弱点を持っていて、ゲームを研究することに長けたプレーヤーが「ゲームを叩きのめしてしまう」ことを構造的に防げませんでした。
今では、数学的に計算されたバランスや、あるいは「そもそも追加データがゲーム・バランスに影響しないゲーム構造」を持ったシステムを、シナリオとパッケージで売ることで、プレーヤーをゲーム・システムと競わせるのではなく、純粋に一回のセッションの体験を楽しんで貰う、という方向にシフトしています(あるいは、今もシフトしつつあります)。
この流れは『シャドウラン』でさえ無縁ではありませんでした。『シャドウラン 5th Edition』展開中に発売された『Shadowrun: Anarchy』は明らかに「ゲーム体験」に重点を置いたゲームですし、最新のルールセットである『Shadowrun Sixth World Edition』も「追加データでゲームをぶん殴る」タイプからは脱却しようとしています。
実のところ、その流れは『シャドウラン第4版』基本ルールの時点で既に萌芽していました。
03 失敗を期待される職業
『シャドウラン』というゲームに受け継ぐべき“レガシー”があるとすれば、それはタイトルでもある「シャドウランニング」そのものでしょう。都会の影に生きるプロフェッショナルが影の仕事を請け負い、困難なミッションに立ち向かうというスタイルはこれからも受け継がれていくものと思われます。しかしながら、「ゲームではなくゲーム体験を主軸にする」という場合、キャラクターの物語に対する影響度は均質ではありません。
以前の版からも、ハッカー(デッカー)と魔法使いが十全に能力を発揮するとサムライの出番がなく、サムライが充分な火力を発揮した場合近接アデプトの出番がない、という問題はずっと囁かれていました。このため、魔法使いがアストラル空間からできることはどんどんと削られていき、ハッカーの邪な企みはどこかで必ず露見するようにゲーム・バランスが変更されました。
『シャドウラン第4版』以降では、ルール通りにマトリックス・テストを行うと、高い確率でセキュリティの警報を鳴らしてしまいます。
誤解を恐れずに言うならば、『シャドウラン』のハッカーは失敗することを期待される職業なのです。
04 失敗が物語をドライブする
「判定(行動)の成功は必ずしも(より良い)ゲーム体験に結びつかない」という重大な気づきは、20世紀末には既に得られていました。1997年には、日本のTRPG史に革新をもたらした二つのTRPGが相次いで発表されています。朱鷺田祐介先生の『深淵』は悲劇がより深い物語を生み出すとして「リソースを消費して判定を故意に失敗させる」ルールを実装していましたし、日本のナラティブ系システムのマイルストーンである松本富之先生の『CLAMP学園公式ガイドブック』は失敗率50%という非常に割り切ったシステムになっています。成功はゲームを収束に導きますが、物語を駆動するのは失敗なのです。
『シャドウラン』のような、大量のデータでゲーム・バランスを踏み壊せるタイプのゲームは、失敗をゲームに組み込むことを苦手としています。プレーヤーが充分に賢明で、慎重に成功を積み上げた場合、あまり盛り上がることなく物語が収束してしまうことはよくあります。そのためGMはしばしば、プレーヤーが絶対に気づかないような罠を張り巡らせようとして、逆にプレーヤーの体験を損なう結果を招いて来たのですが、今回はその話はしません。
『シャドウラン 5th Edition』にも、プレーヤーに単なるテストの失敗以上の何かをもたらすルールがあります。それがグリッチ・ルールです。――ここまでお読みいただきありがとうございます。お疲れさまでした。ここまでが前置きです。
05 有名無実化したグリッチ・ルール
以前のコラムでも触れた通り、現状のグリッチ・ルールには問題があります。
少なくとも、ゲーム体験の向上を目指す上で噛み合っていないことは明らかです。もし、セッション中に一度くらいの出現率でプレーヤーにグリッチして欲しいと願うならば、プレーヤーのダイスプールは7個以下でなければなりません。様々な状況で-6くらいの修正を常時かけるとしても、許容できるダイスプールの上限は13個程度になってしまいます。一方で、プレーヤーは普通に15個以上のダイスプールを持つキャラクターを作成できますし、なんならエッジ・ポイントを使用してセッション中1回きりのグリッチを回避することもできてしまいます。グリッチ・ルールはプレーヤーにとって悪い結果しかもたらさないのです。
『シャドウラン』のシステムは、「シャドウランニング」という課題をいかに華麗にクリアするかという点では優秀なツールですが、「GMが何もしなくても勝手に物語がごろごろと転がっていく」ようには作られていません。余談ですが、『Shadowrun: Anarchy』では50%の確率で良いイベントか悪いイベントのどちらかが起きる「Glitch Die」というシステムが導入されました。
06 成功と失敗の間
一度はコストに見合わないとして放棄したグリッチ・ルール調整案なのですが、今回は比較的「見合う」レベルの修正になったと思います。
『シャドウラン 5th Edition』のゲーム体験を改善するにあたり、グリッチに代わる「物語を駆動する装置」が必要なのは明白です。しかし、Glitch Dieほど強力な装置を導入するには、『シャドウラン 5th Edition』は複雑すぎました。
我々に必要なのは、従来のグリッチよりも意味があり、プレーヤーによい体験をもたらし、しかしそれほど破壊的ではない、成功と失敗の間にグラデーションを作るようなルールでした。少なくとも、プレイヤーが大量のダイスをより分けて1の目の数を数えるのが楽しくないルールであっては困ります。
当初のプランでは、「1の目がヒット数より多い場合、何らかのイベントが起きる」というルールが検討されていました。このルールの問題は、ダイスプールが増えれば増えるほどイベントが起きる確率が上がってしまうことです。そのため、必ずしも悪いことばかりではないようにイベントを調整する必要があり、システムとしては複雑な機構にならざるを得ませんでした。
最終的に現在の形になったのは、イベントの内容をプレーヤーの選択に委ねることとし、プレーヤーにとっては失敗するよりも良いことが起きるように変更したことです。イベントごとにランダム・チャートを引くことも検討しましたが、『シャドウラン』には似合わないと判断し、ダメージと装備の消耗(喪失)という効果に落ち着きました。
チーム内のデッカーがマトリックス内でエッジ・ポイントを消耗していても、現実世界のチームメイトには何が起こっているのか把握するのは難しいですが、突然鼻血を吹き出したり、回路が焼ける嫌な臭いが漂ってきたりすれば、「何かよくないことが起きている」のは傍目にも分かります。
このルールはそうした「徐々に追い詰められていく」場面を演出する効果があり、プレーヤーに発話を促します。一方で使用するかどうかはプレーヤーの任意に委ねられているため、強制的に失敗を演出させられるような「やらされている感」は最小限に留まります。
しかしながら、『シャドウラン』は装備を簡単に喪失できるようなシステムになっていないため、例外に対応するための細かいルールが増えて違法建築気味になってしまうのはやむを得ませんでした。
最後に、従来のルールやオンライン・セッション用のツールとの互換性のためにクリフハンガー・ルールを調整し、今の形に落ち着いたという次第です。