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地球の学びブログ 丹頂


タンチョウ Grus japonensis


保全状況評価[1][2]VULNERABLE
(IUCN Red List Ver.3.1 (2001))

ワシントン条約附属書I

分類
:動物界 Animalia
:脊索動物門 Chordata
亜門:脊椎動物亜門 Vertebrata
:鳥綱 Aves
:ツル目 Gruiformes
:ツル科 Gruidae
:ツル属 Grus
:タンチョウ G. japonensis学名Grus japonensis (Müller, 1766)[3]和名タンチョウ[3][4][5][6][7][8]英名Japanese crane[1][5][6]
Manchurian crane[1]
Red-crowned crane[1][5][6]

タンチョウ(丹頂[4]、Grus japonensis)は、鳥綱ツル目ツル科ツル属に分類される鳥類日本と総称される鳥類のうちでは大型で、代表的な種とされ、タンチョウヅルとも呼ばれる[9]

分布

大韓民国北部、中華人民共和国朝鮮民主主義人民共和国、日本(北海道東部)、ロシア南東部[1]

種小名japonensisは「日本産の」の意。北海道東部で繁殖する個体群と、中華人民共和国北東部やロシア極東部で繁殖する個体群に分かれる[10]アムール川流域で繁殖し、冬季になると江蘇省沿岸部や朝鮮半島ヘ南下して越冬する[3]

日本では北海道東部(道東)に周年生息(留鳥)し、襟裳岬以東の太平洋岸や根室海峡沿岸部、オホーツク地区、1982年以降は国後島[11]歯舞諸島、2004年以降は宗谷地区でも繁殖している[3]。越冬地は主に釧路湿原周辺だったが、近年は十勝平野西部や根室地区での越冬例が確認・増加している[3]日本野鳥の会の観察によると、繁殖地は道東から、かつて棲息していた北海道他地区へ広がりつつあり、2020年には明治時代以来となるウトナイ湖周辺での繁殖確認を公表した[12]道北サロベツ原野でも2018年に営巣跡が発見されており、採取された羽のミトコンドリアDNA解析により、ユーラシア大陸から飛来した個体と北海道内に生息する個体がつがいをなした可能性が指摘されている[13][14]

日本で最も有名な生息地は釧路湿原一帯であるが極稀に石狩平野の上空を飛来することがあり、鳴き声が聞かれる。2015年5月31日に札幌上空で飛来が確認された[要出典]。

形態

全長102 - 147センチメートル[3]。翼長64 - 67センチメートル[4]。翼開長240センチメートル[4]体重4 - 10.5キログラム[3]。全身は白い[3][7][8]。眼先から喉・頸部にかけては黒い[3][5][6][7][8]。眼後部から頸部にかけて、白い斑紋が入る[7]。次列風切や三列風切は黒い[3][5][6][8]

頭頂にはほぼ羽毛がなく黒い剛毛がまばらに生え、赤い皮膚が裸出する[10]。タン(丹)は「赤い」の意で、頭頂に裸出した皮膚に由来する[10]虹彩は暗褐色[6]は長く、色彩は黄色や黄褐色。後肢は黒い[6]。気管は胸骨(竜骨突起)の間を曲がりくねる[6]

生態

湿原湖沼河川などに生息する[6]大陸部の個体群は、700 - 2,300メートルの距離を移動する[7]。北海道の個体群は繁殖地と越冬地の距離が主に150キロメートル以内だが、ごく一部が300キロメートルを移動することもある[3]。冬季には家族群もしくは家族群が合流した群れを形成する[5][8]。日本の個体群と大陸産の個体群は鳴き交わしに差異がある[8]

食性は雑食で、昆虫やその幼虫、エビ類やカニ類などの甲殻類カタツムリ類やタニシ類などの貝類魚類ドジョウ類やコイヤチウグイヌマガレイなど)、エゾアカガエルなどのカエル、鳥類(アオジコヨシキリなど)のヤチネズミ類などの哺乳類、セリハコベなどのアシスゲフキなどのスギナフトモモミズナラなどの果実などを食べる[10]

繁殖様式は卵生。繁殖期に1 - 7平方キロメートル縄張りを形成する[8]。湿原(北海道の個体群は塩性湿原で繁殖した例もあり)や浅瀬に草や木の枝などを積み上げた直径150センチメートル、高さ30センチメートルに達する皿状の巣を作り、日本では2月下旬から4月下旬に1 - 2個の卵を産む[3][5][8]。日本では大規模な湿原の減少に伴い、河川改修によってできた三日月湖や河川上流域にある小規模な湿地での繁殖例が増加している[3]。雌雄交代で抱卵し[8]、抱卵期間は31 - 36日[4]。雛は孵化してから約100日で飛翔できるようになる[7][8]

名称

日本では1133年の『詩序集』が「丹頂」という名称の初出と推定されている[15]奈良時代以降は他種と区別されず単に「たづ」「つる」とされ、主に「しらたづ」「しろつる」といえば本種を差していたがソデグロヅルも含んでいたと推定されている[15]江戸時代には白鶴は主にソデグロヅルを指すようになったが、本種が白鶴とされる例もあった[15]。 江戸時代の本草学でも、現代と同様に鶴といえば本種を指す例が多かった[15]。1666年の『訓蒙図彙』では鶴(くわく)の別名として「つる、たづ、仙禽」が挙げられ仙禽は本種の漢名であること、不審な点はあるものの図から鶴といえば主に本種を差していたと推定されている[15]。一方で1695年の『頭書増補訓蒙図彙』では図は変わらないものの、本種ではなくソデグロヅルかマナヅルを差したと思われる本草網目からの引用・訳文と推定される解説(頬や後肢が赤い)が付け加えられている[15]。1789年の『頭書増補訓蒙図彙大成』では解説は変わらないものの図が新たに描きおこされ、「たんてう(丹頂)」の別名も追加された[15]。『本朝食鑑』では「鶴は『和名類聚抄』にある葦鶴(あしたづ)で、俗称は丹頂である」旨を紹介している[15]。古くはより広域に分布し一般的であったか、後述するように縁起物や芸術作品といった造形物を目にする機会が多かったことから鶴といえば本種という認識が定着していったと考えられている[15]。一方で古くは現代よりも広域に分布していたとはいえ日本全体では本種を見ることはまれであり、実際には鶴はマナヅルを差していたという反論もある[15]。地域差もあり、現代の中国地方に属する備後国(『福山志料』1809年)や周防国(『周防産物名寄』1737年)、長門国(『舟木産物名寄帳』1739年)の文献では鶴の別名を「マナツル」としており、これらの地域では鶴はマナヅルを指していたと推定されている[15]。現代の和歌山県にあたる紀伊国の『紀伊国続風土記』(1839年)では、頭頂が白く頬が赤いという特徴から鶴(白鶴)はソデグロヅルを指していたと推定され、『紀産禽類尋問誌』(年代不明)では丹頂は飛来しないとする記述がある[15]。 1708年の『大和本草』には頭頂が赤く後肢が黒い松前(北海道)に分布する「丹鳥」という鳥類の記述があるが、色は黒いとされている[15]小野蘭山による1801年の『大和本草批正』では「丹頂」と「丹鳥」を区別し、「丹鳥」は「玄鶴」であるとしている[15]。「玄鶴」に関しては定義が不明瞭なため同定は困難で、オグロヅルカナダヅルクロヅルナベヅルナベコウセイケイ(玄鶴の別名を青鶏とする文献があるため)を指すなど複数の説がある[15]。「丹鳥」を本種とする考えもあり「丹鳥」を「丹頂」に書き換える例も多く見られるが、古くは「丹鳥」は複数の定義をもつ語であったと考えられ、『大戴礼記』『あい嚢鈔』『和爾雅』ではホタルの別名、『本草網目目録啓蒙』ではキンケイを指す語であったと推定されている[15]。『観文禽譜』では本種に朝鮮鶴の名称をあてた例もあるが、これは単に「朝鮮半島に由来する鶴」の意と推定されている[15]

人間との関係

食用とされることもあった。一方で日本では縁起物として主に食用とされたのはクロヅルやマナヅルで、本種に関しては江戸時代には「食べる人は少ない」「肉が堅く不味い」という記述がある文献もあり、飼育用や観賞用の需要が高かったと考えられている[16]アイヌ語では「サロルンカムイ」と呼ばれ、これは「葦原の神」の意がある[10]。縁起物や、芸術作品のモチーフとされることもある[15]。縁起物の組み合わせとして「松上の鶴」があり、実際には樹上にはとまらないツル類とコウノトリを混同していたとする説もある[16]。一方で文献調査では少なくとも江戸時代の博物誌ではツル類および本種とコウノトリ類に共通する名称はなく、分布や形態・生態、食用や薬用としての利用法の相違点が既に記述されていることから、「形態は類似している」という記述は当時からあったものの区別されていたとする説もある[16]。一例として当時ツル類には既に「樹上にとまらない」とする記述もあり、『飼籠鳥』や『庶物類纂』などのように「松上の鶴」の構図を実際にはありえないと否定したり疑問視した文献もある[16]

少なくとも日本ではソバトウモロコシなどを食害する害鳥とみなされることもある[17]。牛舎に侵入して家畜を驚かせて怪我をさせたり牛乳の生産量に影響を与えたりするほか、飼料を発酵させるためのラップサイロやバンカーサイロを嘴で破るなどの被害も報告されている[17]。後述するように高病原性インフルエンザ口蹄疫などの感染症が流行した場合に、家畜へ感染症を伝搬させることも危惧されている[17]

アムール川流域では野火による植生変化や巣材の減少により、中華人民共和国では農地開発による繁殖地の破壊などにより生息数は減少している[5]。1975年の絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約(ワシントン条約)発効時から、ワシントン条約附属書Iに掲載されている[2]

日本 生息環境の悪化

日本では1924年に釧路湿原で再発見されるまでは絶滅したと考えられていた[18]。後述する冬季の餌付けが成功したことで1960年代までは増加傾向にあったが、1960年代前半以降は主に電線との衝突による事故死(1964・1965・1972・1973年は生息数の約10 %が事故死し、以降は年あたり約10羽が事故死)により生息数が減少した[18]。伊藤義孝氏が給餌をはじめその後日本野鳥の会が参加して大規模な給餌を開始したことから1970年代後半から再び生息数が増加した[18]。生息数が増加する一方で人間への依存度が高くなり、生息数増加に伴う繁殖地の不足が問題となっている[3][5][10][18]。車両や列車との交通事故、牛用の屎尿溜めへの落下事故の増加などの問題も発生し、餌付け時にカモ類やカラス類のような他種の鳥類も含めて過密化することから感染症の蔓延も懸念されている[3][17]。餌づけの餌目当てに集まるキツネ類シカ類オジロワシオオワシなどと接する機会が増えるが、これらのうち捕食者となりうる生物に対しては餌付け場で捕食されることはないものの見慣れることで警戒心がなくなってしまうことが懸念されている[10]イヌやシカが湿原の内部まで侵入しており、繁殖への影響も懸念されている[10]

生息数の推移

北海道での1952 - 1953年における生息数は33羽[5][18]1962年における生息数は172羽、1988年における生息数は424羽[6]2004年における生息数は1,000羽以上、2012年における確認数は1,470羽で生息数は1,500羽以上と推定されている[3]。2008年の繁殖ペア数は285ペア、2010年の繁殖ペア数は345ペアが確認されている[3]北海道庁は1952年度から個体数把握調査を続けており(調査地点は2021年12月調査では40市町村の約300カ所)、2021年1月時点では飼育下を含めて1516羽と調査開始以来の過去最多であった[19]

絶滅危惧II類 (VU)(環境省レッドリスト)[3]

日本では北海道庁により1889年に狩猟が禁止され、1890年に現在の千歳市周辺が禁猟区に指定されたのに続き、1892年に日本国内でのツル類の狩猟が禁止、1925年に再発見された地域が禁猟区に指定された[18]1935年に繁殖地も含めて国の天然記念物1952年に「釧路のタンチョウ」として繁殖地も含めて特別天然記念物、1967年に地域を定めず種として特別天然記念物に指定されている[18]1993年種の保存法施行に伴い、国内希少野生動植物種に指定されている[20]。北海道では自然保護団体などによる繁殖地の買い上げ(ナショナルトラスト運動)や、冬季に穀物を給餌している[3][17]。初期にもセリの移植、ドジョウの放流やソバの散布、1940年には餌を奪う他の鳥類の駆除などの保護対策が行われたが、冬季の食糧不足から生息数はほとんど上昇しなかった[18]。2015年度には環境省により、冬季の給餌量を段階的に減少させる方針が打ち出されている[7]。1952年に大雪に伴い人里に近づいた個体に対し、阿寒村鶴居村で餌付けに成功した[18]。日本野鳥の会でも啓蒙活動やナショナルトラスト運動が進められ、1987年には鶴居・伊藤タンチョウサンクチュアリを開設している[17]。主に釧路市動物園などでは野生で怪我を負ったり病気になった個体を収容し、野生に復帰させる試みが進められている[17]。死亡してしまう個体や、救命できても野生への復帰が困難で義足をつけて釧路市動物園で飼育・展示される個体もある[21]

飼育
日本では江戸時代には寺院などで飼育されることもあり、明治・大正時代の第二次世界大戦以前にも既に多く飼育され、飼育下繁殖にも成功していたとされる[22]。具体例として恩賜上野動物園(上野動物園)では1875年に飼育され、1913年には京都市動物園で10羽、1923年には上野動物園で11羽が飼育されていたという記録がある[22]。遅くとも1895年には、上野動物園や新宿御苑では飼育下繁殖に成功していたとされる[22]。戦前は朝鮮半島から輸入された個体が、主に飼育されていた[22]。1950年代には上野動物園などで人工孵化や人工育雛などの試みが進められるようになった[17]。戦後は中華人民共和国から輸入された個体に由来する個体が、主に飼育されている[23]

岡山県では岡山後楽園宝永元年(1704年)頃に飼われるなど江戸時代から飼育されており、2022年3月末時点、4施設に合計57羽がいる[24]。同県は「タンチョウ将来構想」で自然との共生のシンボルと位置付けており、岡山県自然保護センター和気町)は、飛翔可能な状態で飼育しているのは北海道以外では岡山県のみと説明している[24]。昭和初期には皇居のつがいを贈られたことがあり、第二次世界大戦で飼育が一時途絶えたものの、岡山県に留学した経験がある中国人から2羽が寄贈されて飼育を再開した[24]

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

以下は環境省レッドより
絶滅危惧II類(VU) 鳥類 ズグロミゾゴイ
絶滅危惧II類(VU) 鳥類 タンチョウ
絶滅危惧II類(VU) 鳥類 ナベヅル
絶滅危惧II類(VU) 鳥類 マナヅル
絶滅危惧II類(VU) 鳥類 シロチドリ
絶滅危惧II類(VU) 鳥類 セイタカシギ
絶滅危惧II類(VU) 鳥類 オオソリハシシギ
絶滅危惧II類(VU) 鳥類 ホウロクシギ
絶滅危惧II類(VU) 鳥類 アマミヤマシギ
絶滅危惧II類(VU) 鳥類 ツルシギ
絶滅危惧II類(VU) 鳥類 タカブシギ
絶滅危惧II類(VU) 鳥類 アカアシシギ
絶滅危惧II類(VU) 鳥類 タマシギ
絶滅危惧II類(VU) 鳥類 ツバメチドリ
絶滅危惧II類(VU) 鳥類 ズグロカモメ
絶滅危惧II類(VU) 鳥類 コアジサシ
絶滅危惧II類(VU) 鳥類 オオアジサシ
絶滅危惧II類(VU) 鳥類 ベニアジサシ
絶滅危惧II類(VU) 鳥類 エリグロアジサシ
絶滅危惧II類(VU) 鳥類 ケイマフリ
絶滅危惧II類(VU) 鳥類 カンムリウミスズメ
絶滅危惧II類(VU) 鳥類 サシバ
絶滅危惧II類(VU) 鳥類 オジロワシ
絶滅危惧II類(VU) 鳥類 オオワシ
絶滅危惧II類(VU) 鳥類 ダイトウコノハズク
絶滅危惧II類(VU) 鳥類 リュウキュウオオコノハズク
絶滅危惧II類(VU) 鳥類 オーストンオオアカゲラ
絶滅危惧II類(VU) 鳥類 クマゲラ
絶滅危惧II類(VU) 鳥類 ハヤブサ
絶滅危惧II類(VU) 鳥類 サンショウクイ
絶滅危惧II類(VU) 鳥類 イイジマムシクイ
絶滅危惧II類(VU) 鳥類 タネコマドリ
絶滅危惧II類(VU) 鳥類 アカヒゲ
絶滅危惧II類(VU) 鳥類 オオトラツグミ
絶滅危惧II類(VU) 鳥類 コジュリン
準絶滅危惧(NT) 鳥類 コシジロヤマドリ
準絶滅危惧(NT) 鳥類 アカヤマドリ
準絶滅危惧(NT) 鳥類 マガン
準絶滅危惧(NT) 鳥類 オオヒシクイ
準絶滅危惧(NT) 鳥類 カラスバト
準絶滅危惧(NT) 鳥類 クロウミツバメ
準絶滅危惧(NT) 鳥類 オーストンウミツバメ
準絶滅危惧(NT) 鳥類 カラシラサギ
準絶滅危惧(NT) 鳥類 チュウサギ
準絶滅危惧(NT) 鳥類 ヨシゴイ
準絶滅危惧(NT) 鳥類 ヒクイナ
準絶滅危惧(NT) 鳥類 ヨタカ
準絶滅危惧(NT) 鳥類 ハマシギ
準絶滅危惧(NT) 鳥類 オオジシギ
準絶滅危惧(NT) 鳥類 オオセグロカモメ
準絶滅危惧(NT) 鳥類 ミサゴ
準絶滅危惧(NT) 鳥類 オオタカ
準絶滅危惧(NT) 鳥類 ハイタカ
準絶滅危惧(NT) 鳥類 ハチクマ
準絶滅危惧(NT) 鳥類 オリイヤマガラ
準絶滅危惧(NT) 鳥類 マキノセンニュウ
準絶滅危惧(NT) 鳥類 ノジコ
情報不足(DD) 鳥類 エゾライチョウ
情報不足(DD) 鳥類 オシドリ
情報不足(DD) 鳥類 サカツラガン
情報不足(DD) 鳥類 アカハジロ
情報不足(DD) 鳥類 アカツクシガモ
情報不足(DD) 鳥類 シロハラミズナギドリ
情報不足(DD) 鳥類 ヘラサギ
情報不足(DD) 鳥類 クロトキ
情報不足(DD) 鳥類 クロヅル
情報不足(DD) 鳥類 ケリ
情報不足(DD) 鳥類 チシマシギ
情報不足(DD) 鳥類 シベリアオオハシシギ
情報不足(DD) 鳥類 マダラウミスズメ
情報不足(DD) 鳥類 ダイトウウグイス
情報不足(DD) 鳥類 オオムシクイ
情報不足(DD) 鳥類 リュウキュウキビタキ
情報不足(DD) 鳥類 コトラツグミ

丹頂を見て頂きありがとうございます😊😊
今日は人生で一番いい日です。

子どもの頃、弟が生まれて病院へお父さんが迎えに行きました。
お爺さん、おばあさん、妹と期待をもって待っていました。
テレビを見て待ち侘びていました。鶴が雪の中に群がっている画像が流れていました。

その時、弟は父の運転する自動車の助手席に和服を着た母に抱かれて帰ってきました。日本航空の鶴丸が帰ってきて、とても嬉しいです。

縁起のいい鳥ですね。
今日もいい日でありがとう😊😊