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ジャルジャルについて

ジャルジャルがキングオブコントで優勝した。 

私がジャルジャルを認識したのは高校生あたりのことだった。

関西で生まれ育った私は、周りの同世代たちがそうであるように、吉本新喜劇を見て育った。

土曜は習い事から帰ってシャワーを浴び、ホットプレート上の焼きそばを食べながら吉本新喜劇をみる。特に「安尾信之助」がお気に入りだった。「お邪魔します」「お元気ですか」を肯定、疑問で繰り返すというワンパターンなものであるが、毎週そのくだり(「ノリ」に通じるものがある)が始まる時はわくわくしたものである。毎週同じなのに、初めて言っているかのような演技力はさすがだったな、と今になって思う。

そんな環境で育ったので、お笑いが身近にあった。小学校5年生の時に始まったМ-1グランプリを夢中で見たり、若かりし頃のロザンやチュートリアル、ブラックマヨネーズが出ていたバラエティーをよく見たりしていた。

ジャルジャルを認識したのは高校生ぐらいのことだったと思う。ちょうど「オールザッツ漫才」で優勝したのがその頃であったと思うが、周りの芸人が各々の衣装に身を包む中、「黒Tシャツ・チノパン」の若者のインパクトは強かった。ネタも正直何が面白いのかはじめはわからなかったが、そのネタこそが彼らのルーツである。笑いの一要素である「裏切り」に特化したネタに徐々にハマっていき、当時黎明期であったYouTubeで彼らのネタを見尽くしていたのを覚えている。(当時は「モンスターエンジン」も好きだった。人生で一番笑ったネタがたぶんモンスターエンジン西森の「鉄工所ラップ」)
高校の友達もジャルジャルが好きで、高3の文化祭でクラス衣装を皆がそろえる中、4人くらいで「黒Tシャツ・チノパン」で当日を迎えた。なかなか尖っていたなあと思うが、いい思い出であったと同時に、当時そこまで同世代でジャルジャルの知名度がなかったので、衣装をみてジャルジャルだと気づかれたときはうれしかった。

何がそんなに好きだったのか と今考えると、
当時は「ジャルジャルのネタの面白さ、おれわかってるよ 感」に浸っていた部分があったと思う。なんかこう、センス良く見られたかった若気の至りであった。SNSがほぼなかった当時、どれくれいの人がジャルジャルを支持しているか全くわからなかったのも、何か自分が特別だと思っていた一因であった。「レッドシアター」あたりから全国区に進出していったが、そこまでは目をかけたインディーズバンドを応援するファンのような気分だった。

2010年のM-1グランプリあたりからは吉本が彼らを「スターシステム」に乗せようとする傾向がみられた。ナインティナインやキングコングのように、若者を中心に世論を獲得し、様々な経験を積ませながらダウンタウンの後継者を育て上げるあの流れに乗せられつつあったように思っていた。
前述の「レッドシアター」もそうであるが、関西ローカルの「炎上base」というバラエティー番組で福徳にMCを任せていて、お世辞にも上手とは言えなかった。銀シャリ橋本がやればいいのに、といつも思っていた。
極めつけは「めちゃイケ」のレギュラー参加である。
もう、なんか、ずっと空回っていて見ていられなかった。

今現在、「めちゃイケ」や「はねトび」のような形態のバラエティは存在しない。ジャルジャルが、吉本が用意した(であろう)レールに乗れなかったのは、ある種時代の求めるエンタメの先を行っていたのだと思う。別にテレビで活躍して、何組かの芸人を代表で回したり、中居君と一緒に全国旅したり、ゲームで間違えて元関取と相撲をさせられたり、そんなことしなくても、別に芸人はそんなことしなくてもいい。芸が面白ければいい。芸人なんだから。ひな壇でガヤらなくても高校生あるあるでバズらなくても、芸人は面白ければいいと思う。

ネタをいくつも考えて劇場や画面越しの客に披露し、反応を見ながらマイナーチェンジしブラッシュアップさせ、コンテストに出て名声を得る。
普通に考えれば当たり前のことであるが、近年その当たり前を続けていた芸人は少なかった。毎日YouTubeにネタをアップし、ファンと共にコンテンツを作り上げ、賞レースは賞レース用にカチッとハメにいく。
そういう当たり前を積み重ねたからこそ、ジャルジャルは今回チャンピオンの栄冠を掴むことができたのだと思う。

高校生の時に夢中になっていたジャルジャルの年齢はとっくに過ぎてしまった。めちゃイケメンバーになった時の彼らの年齢も、何年か過ぎていることに気づいた。

大きく環境の変わるこの時期、
私もルーツを大事に、まずは金木犀を嗅ぎに実家に帰ろうと思った。

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