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脱コルセット運動に対するよくある誤解と返答集

 脱コルセット運動におけるよくある誤解その1:「妊娠出産は女性しかできないのだからコルセットの一種だ」


Twitter上にて主に反出生主義支持者女性に於いて幾らか散見された誤解だ。

4B(6B)4T運動の中でも4T(※努力義務)に過ぎない「脱コルセット」に過剰な期待をし過ぎている典型例である。

脱コルセット運動とは、「社会的女性性を脱ぐ努力運動」である為、妊娠出産が出来る、という女性ならではの身体特徴、即ち「身体的女性性」を脱ぐ事ではない。「社会的女性性」と「身体的女性性」を混同しているからこそ起こる誤謬である。

この誤謬に従ってしまうと、「乳房摘出したので脱コルセット」「子宮摘出したので脱コルセット」「今まで女性らしい顔立ちをしていたが、男性らしい顔立ちへと整形手術が完了したので脱コルセット」「体重を著しく減らし、月経が来ないようにして男性と同等レベルに働くことができるようになったので脱コルセット」というとんでもない身体改造への是認が一律成立してしまう。

脱コルセット運動並びにラディカルフェミニズムは、「女性らしい生まれつきの身体特徴」に対し、否定をしない性質のものである。
寧ろ、社会的忌避をされ排除されてきた原因である月経や、妊娠出産が出来る機能等の女性的身体特徴を有したまま、「女性は人間である」と主張していく事こそがラディカルフェミニズムの本懐である事は、昨今のTGismを見ればすんなり理解する事が出来るだろう。


脱コルセット運動におけるよくある誤解その2:「〇〇の装飾はダメで××の装飾はOKなの」

先ず初めに私から言及させて頂きたいのは、「これらに対する回答は全てWOMWIKI の脱コルセットの章に既に記述がある」ということである。

WOMWIKIとは、有志の韓国ラディカルフェミニスト達の手によって、韓国の有料Wikiページ作成サービスを利用し書かれたものである。類似に、韓国リベラルフェミニスト女性達の運用するFEMWIKIと、男が管理するNUMWIKIが存在する。
後援(寄付)の講座を公開し、運用されている。

今回のよくある誤解「〇〇装飾はダメで××装飾はOKなの」に一番近しい脱コルセットへのイチャモン(シーライオニングと言い換えても通じるかもしれない)は6.8の項に該当するだろうか。

6.8の項では、過去韓国にて実際に紛糾した「手洗いや日焼け止めはコルセットか」の議論の詳細がまとめられている。

人の身嗜みの清潔さに「病的なほどの過度な女性らしさ」を求めればそれは「社会的女性性の強化」へと繋がり、即ちコルセットである。とする内容である。つまり、手洗いや日焼け止めへの答えは、「手洗いは清潔さの維持の為に女男問わず行うべきで、日焼け止めは肌が赤くなって皮膚を損傷してしまう人だけ、健康を維持する為に半日に一度程度塗り直せば良いだろう」というAnswerを見つける事が出来る。「色白美白美人でいなければならない」という強迫観念に駆られて1日に何度も塗り直すようでは、その精神にはコルセットが嵌められている。

現在、日本も韓国も、その社会では「人のデフォルト=男性」とされている為、「女性が人のデフォルトの状態に戻る」、つまり「外面も内面も過度に装飾し抑圧され過ぎた状態(※現在の女性の置かれた環境)から元の人間の状態に戻る」為、即ち、「現在既に女性も男性も行っている装飾は今まで通り行って良い」という理路に辿り着く。


何度でも申し上げるが、脱コルセット運動とは、「脱装飾運動」ではない。「脱社会的女性性抑圧運動」である。


この理路をしっかり理解した上で、よくある誤解その2「ピアスもヘアカラーもOKなのか」という疑問を精査しよう。

現在、日本国内に於いての若者のピアスとヘアカラーは「女性だけが過度にしている装飾」に入るだろうか?
ピアスとヘアカラーそのもの自体を実行している人間は、日本国内の若者には女男比で言うと同数程度存在しているのではなかろうか。
金髪や茶髪に染めた若い日本人男性を見た事が無い、と言う人間の方が少数派だろう。

例えば、ファッションの専門学校の若い生徒を思い浮かべて欲しい。奇抜な髪色(赤や緑等)をしている生徒は女男比で大きな差があるだろうか。

では、今度は「花柄のイヤリング」をしている一般の若者を思い浮かべて欲しい。女男比で大きな差があると感じるのではなかろうか?

我々は風紀委員でもファッションチェッカーでも何でも無い。
我々一人一人が、この社会を維持し、温存し続け、また支え続ける一員なのである。
現在日本国内に於けるフェミニズムの文脈で挙げられる主な社会運動である # Metoo運動や、それを下地にして日本で独自発展したフラワーデモや、#  Kutoo運動、NPO法人ピルコンが粘り強くロビイング活動を行ってきた緊急避妊薬へのアクセス改善、これらも問題を感じた当事者達が主体となって、自身らの手により興した社会運動であり、最初から正解なぞは存在しなかった。
共感し、支援し、参加する一人一人が自身にも出来る行動を都度考えて実践していくのみだ。
韓国での社会的状況と日本での社会的状況と、アメリカでの社会的状況、フィンランドやスウェーデンでの女性を取り巻く社会的状況がまちまちで違いがあるのは当然なのだから、韓日で共通する点が数多く存在する事は事実であるし、4B(6B)4T運動の目的やメソッドは既に確立化されているものなのだが、「どれもこれも韓国と同じにしておけば正解」「韓国と違うから不正解」などは存在しないし、断言できるような正解を明示出来る者は存在しない。ましてや、暗中模索の中、たまたま先に実行しているだけの脱コル実践者へ教えを乞うのみで自身では考えもしない・勉強しない・Webで読める論文もWOMWIKIも何も読まないでTwitterでシーライオニングし疲弊させ、文句だけは延々Tweetする。そのような者は、果たして一つの社会運動に対し文句が言える立場であるのだろうか?
もっと言うと、「社会運動の当事者であると言えるのか」。支持も参加も実践も勉強もしていなければ、それは残念ながら「ただの無関係な人」なのではなかろうか。そのような態度の者に緊急的な当事者性があるとは言い難い。非常に無責任である。

根本の考え方の部分が長くなったが、この考え方でいけば、例えば就労条件等にもメソッドが都度適用可能なので、「女性にだけ過度な装飾・女性らしさ・抑圧はかけられていないか?」を自己点検し、自分なりに考えながら実践を重ねていって欲しい。
もし貴方のその考え抜いて実践した脱コル手法が、『社会的女性性強化』に繋がってしまっていた場合は、他の脱コル実践者から当然指摘も入るだろうが、そこでいじけずに、その都度「社会的女性性とは何を指すのか」「家父長制に都合の良い女性像とは何なのか」と立ち止まって考えて欲しい。
我々は、間違っても良い権利がある。重要なのは、間違って、誰かに誤りを指摘された時に、思考を深める良い機会を得たのだと肯定的に捉え、より深い思考をして、知識を得、前進していく貴方のユウ気である。
一番恐るるべくは、停滞と後退なのである。


蛇足として付け足しておくが、今回は、たまたまこの者の疑問Tweetに私がこの場で回答する形となったが、この者の最大の欺瞞は、韓国ラディフェミ女性には染髪・ピアス装飾している者も存在し、かなり目立っているのだが、そちらには一切文句や疑問を呈さない点にある。

このTweetは、先日話題となった「韓国ラディフェミ(4B(6B)4T実践中)女性が女性専用のBarを立ち上げた」というご連絡のTweetであり、10月6日に発信されている。2020.11.12現在時点で4,899件のリツイート、4,192件のいいね数を誇る。
日本人ラディフェミ支持者も当然皆祝福を口々にし、拡散に努めたので、日本人脱コル実践者を逐一監視していたのなら目にしても何ら不思議ではないものなのだが、韓国ラディフェミ女性には一切言及しない様子が伺える。

勿論、前述の通り私の説明した論理では「韓日では社会的事情がまちまちで女性が社会から求められる女性性も事情は似通ってはいるものの、細かな差異はある」のだが、彼らのTweetには一貫して「個人の選択としてのこの装飾は可なのか/不可なのか」という旨の主張しか一向に確認出来ない為、「韓国と日本の事情は違うから言及していない」という訳でもなさそうだ。

尚、全編日本語字幕付きの『脱コルセットとは?脱コルセットをした韓国女性100人へインタビュー』という再生数25万回越えのyoutube動画があるのだが、こちらでも多くの染髪をしている、もしくはピアスを付けた脱コルセット中の女性の姿を多く確認が取れる。

これらの、簡単にアクセスが可能な脱コルセットの情報を基にした事実を、全て無視して「ピアスと染髪はOKなんて」と文句や言いがかりをつけるのは、恐らくスマートフォンもPCもインターネットもSNSも何も満足に自身の思い通りに扱う事の出来ない人物なのではなかろうか?と貴方も想像がつくのかも知れないが、彼らの様子を見る限り、どうやらTwitterで管を巻く事だけは出来るらしい。




FYI:WOMWIKIを自身で日本語で読みたい方へ。
ブラウザのGoogleChlomeをご使用の方は、韓日翻訳機能が更新されている筈なので、是非利用してみて欲しい。かなり自然な韓国語への翻訳はPapagoというアプリケーションを推奨する。このアプリケーションでWOMWIKIの殆どを日本語で網羅できるだろう。


脱コルセット運動におけるよくある誤解その3:「脱コルセット運動参加者はオス化している」


WOMWIKIを読んで下さい。
6.1章と6.9章を参照。

Papagoに通した文章を以下にそのまま掲載しておく。

6.1 脱コルセットは男性性の追求だ?

脱コルセットは男性性を取る運動ではなく、女性性を打破する運動だ。 なぜ女性はおしゃれ労働値がゼロになると「男性らしい」と言われるのか 外的男性性は一般的な人間の姿を(活動性が楽なズボン、管理がしやすい短髪など)、外的女性性は不便さとともに伴う美しさだからだ。 事実上外的男性性というものは存在しない。 特に男性は、飾り労働を全くしなくても、いかなる干渉も受けない。 脱コルセットが目指す簡便なルックス管理は,人間らしさなのだ

化粧をしない女性、大事な日にスカートをはかない女性、ロングヘアをしない女性の数が多くなるほど女性一人一人が感じる化粧に対する義務感、活動性を制約するスカートをはくと感じる日、ショートヘアーを試みる時に感じる負担は減る。 女性に強制されていた女性性を打破できるようになるのだ。

フェミニズムが家父長制の認知と批判で終わるのではなく、家父長制打破のために実質的にアクションをしなければならないと仮定した時、女性は家父長制が維持されてきた最も強力な手段の一つであるコルセットを脱しなければならない。 すなわち、美しさの定型から脱し、意図的に美しさを追求しないことは、明らかに家父長制に対する非常に強い抵抗である。


6.9 脱コルセットは女性の男性化だ

「女性は男性化しようというのか。 だんだん男に近づいている」。 「あれが男なんだ、誰が女なんだ」といった嘲弄がいまだに続いている。 このような批判または非難の特徴は、既成世代に近いフェミニスト集団でも、男性からも同様に提起されているということだ。

さあ、まさにこれが脱コルセット運動の効果だ。 女性の身長や肩幅など身体条件は男性とあまり変わらない。 特に女性の身体の特徴とされてきた広い骨盤と細い腰、突き出た胸がどれほどメディアを通じて誇張されてきたかが感じられる。 ちょっと品の広くて楽な服,あるいはフォーマル·スーツなどを着てみると,「身体的女性性」はよく見えない 2019年頃、ある男性はユーチューブに脱コルセットを貶めるための動画をアップロードした。 そのサムネイルには男性本人の上半身が掲載されていたが、映像のレス欄には「申し訳ないが脱臼した女だと思った」というレスが大きな反響を呼んだ。 女性の身体の差が特に少ない韓国では、本当に女性と男性を区別することが難しいことを証明するエピソードだ。 そのため、女性と男性を外的に区分するためのコルセットがさらに発達したのだ。 社会的女性性を脱ぎ捨てて、人らしい姿を取り戻すことは、これまで人類のデフォルトとされてきた社会的男性性を追求するように見えるかもしれない。 しかし、それがまさに脱コルセットの本質だ。 男たちが独占してきた人間になること、人為的に作られ、社会によって抱き込まれてきたコルセットを壊すこと。 あれほど優れているとされてきた「男性性」の神話も解体することだ。

これと似ているが、悪意を含んでいないありふれた言葉も存在する。 「君にいるから男といるんだ」「君が本当の男だったらよかったのに」この言葉には悪意はないが、非常に異性愛中心的で無礼な行為だから、タルコラーにこんな言葉をスモールトークのように言うつもりはよしておこう。

尚、どんなに親切な人間でも尊大な態度の者や悪意を持ってシーライオニングや冷笑・嘲笑を繰り返す者には例え4B(6B)4T実践者であろうとそれ相応の態度で接するだろうが、それを「オス化だ」と揶揄する者が存在するが、どうか貴方は第三者視点で冷静に物事を見極めて欲しい。

脱コルセット運動におけるよくある誤解その4:「私の装飾は主体的装飾」


「疑問に答える」と「シーライオニングに答える」は別物である。

WOMWIKIに似た答えが掲載していたので、Papagoに通した文章をそのまま掲載しておく。

6.6 私の好みも脱コルセットだ

「以前はミニスカートも検閲の対象だったので,露出している衣装は脱コルセットにあたる」「私の時は化粧が脱コルセットだった」 「私はロリータルックなどの趣向を持っていたが、これも社会に対する抵抗なので脱-コルセットだ」 脱コルセット運動が国際的支持を得る前、かなり多く聞かれた主張だ。 特に、30〜40代からこのような主張が提起されたりした。

コルセットは「社会的女性性」だ。 言語が社会によって、つまり時代によって、また人々の使用によって変化するように、具体的なコルセットの形は変化し続ける。 かつてミニスカートをはくのが女性主義的行為だったのは、その時代のコルセットが女性の活動性を妨げる衣類だったからだ。 その時代に戻るならミニスカートをはくのは脱コルセットだったかもしれない。 しかし、今は2010年代だ。 スカートは典型的なコルセットになって久しい。 現在を生きる私たちは過去から多くのことを学ぶことができるが、その時代に革命的だったミニスカートを今になって脱コルセットの象徴に立てることはできないのではないか。 また、「私の時は化粧が脱コルセットだった。」という主張には重要な事実が省略されている。 このような主張は、学生時代に学生は化粧するなと制限した過去の学校を前提にしている。 学校では飾らないようにするが、その学生が成人したり大学に入学したらすぐ'女'として立派に着飾って行けという社会の圧迫のことだ。 今日はどうか。 むしろ中学,高校の生徒たちに火葬特講を提供し,ハイヒール体験をさせるなど早くからコルセットを助長している 時代は変わり,コルセットはますます下に下がっている. 私たちは、過去ではなく今日を生きているということを忘れてはならない。

自分の趣向が社会で歓迎しないスタイルなので、ロリータ·ルックも脱コルセット運動という主張はコルセットの意味について誤って把握したのだ。 コルセットは社会的女性性であり、社会が嫌うすべてのものではない。 例で言うロリータルックは、フォーマルな場所で着ることができない服装だが、社会的女性性に合った服装でもある。 日常生活ではあまり多くないが、ロリータルックらしいディテールの入った衣類はだんだん増えており、舞台衣装では意外にもありふれて見える方だ。 個人に対する社会的抑圧が、いつもコルセットに該当するわけではない。


>「無職で引きこもりだった時もネイル」


は、果たして本人の完全な主体的な意思のみで行われる装飾であるか。もう少し言葉を詳細に言い換えると、「個人の完全なる主体的な女性性の装飾は有り得るのか」、だ。

『ネイルアート』、は現在、主に社会に於いて女男どちらが行っており、社会的文脈として、どのように解釈されるのか、が社会に於いての自身の行動の点検をする為の、社会的意味を読み解く為の鍵となるだろう。

この方が例え日本人男性として生まれていたとしても、「無職で引きこもりだった時も自分から望んでネイル」をするのだろうか?

これが一番簡単な指標となる。



脱コルセット運動におけるよくある誤解その5:「『かっこいい』はルッキズム評定するコルセットを嵌める褒め言葉だ」


かっこ‐い・い【かっこ▽好い】 の解説

[形]《「かっこ」は「かっこう(格好)」の音変化》見栄えがしたり、態度・行動がさわやかだったりして心ひかれる、という気持ちで使う語。すばらしい。「彼の髪形は―・い」「―・い生き方」⇔かっこ悪い。


「かっこいい」と言う日本語には態度・行動を褒める意味も多分に含まれる。
また、脱コルセット運動は「イコール脱ルッキズム運動では無い」ので、男と同等程度のルッキズム抑圧からは救う性質のものでは無い。
あくまでも、『女性にのみ過度に課されてきたルッキズム抑圧』からのみ、開放する思想である。


脱コルセット運動におけるよくある誤解その6:「脱コルセット運動自体がむしろコルセットと化している」

WOMWIKI参照されたし。
6.5章が該当。

Papagoに通した文章を以下にそのまま掲載しておく。

6.5 脱コルセットがかえってコルセットである

「髪を短く維持しなければならないため、お金がかかり、美容院によく行かなければならない。 髪の毛を伸ばして束ねたり、そのままほどいた状態で歩くのがもっと楽だ」とし、脱コルセットがむしろ既存のコルセットより良くないのではないかという主張が存在する。

まず,脱コルセット運動の究極的意義は,経済的利点や生活における利便性を確保することではない。 そのため、金が多くかかるとか不便だという理由で、脱コルセット運動を批判することは、本質を逸したまま、ただけなすだけのための主張だと言える。 脱コルセットは個人の生活において様々な利益をもたらすこともあるので、脱コルセットを実践した人々が自分が経験した変化を表現する際に「どれだけ楽か」を一緒に話したりもするのは事実だ。 しかし「私が思うに、その言葉のように楽ではなく、美容院にも頻繁に行かなければならず、お金もかかるので、脱コルセットはあまりにもイマイチだ」という主張は主観的すぎるのではないか。 なぜ短い髪は楽ではないのか、なぜ金がたくさんかかるのか。 このような主張は結局、脱コルセットの本質をすでに逃した主張だが、あえて反論するなら、次のようなものだ。

まず、髪を短く維持したからといって、お金が必ずたくさんかかるわけではない。 自分でバリカンを買ってセルフカットをする人も多く、あまりにも編み目なので押してあげる施術が必要な場合は、自分でバリカン剤を購入して低価格でダウンパーマをすることもある。 既にユーチューブには「セルフ·ツー·ブロック」を入力するだけでも数多くの映像が存在し、知人の助けを借りて髪の毛を切る映像も見つけやすい。 美容院でヘアカットをしても、1、2ヵ月に1度カット費用を払えば済む。 髪の毛が長い場合、パームやマジックなど手術に莫大なお金がかからないか。 別にすることなくただ育てる場合でもトリートメント·エッセンスなどヘアケアにお金を投資する人が多い。 きれいに見せる目的がなくても、髪の毛は死んだたんぱく質であるため、長さが長くなるほどよくもつれ、それを防止するための管理が必要だからだ。 しかし、短いヘアスタイルにはリンスさえ使わなくてもいい場合が多い。 また、「髪が短くても、私はきれいでなければならない」という考えが支配的な人でない以上、お金がたくさんかかるとか、管理が難しいという言葉は不適切だ。 髪の毛の長さが長い方が日常生活でもっと便利だという主張も主観的な考えだ。 もちろん、本当に長い髪の方が楽に思えるが、脱コルセットは楽になろうとしているだけではないという事実を肝に銘じよう。 また、多くの脱コーラーが「脱コルして光明を訪れた」とし、その楽さに賛辞を送ることを参考にしよう。

運動参加者当人が「楽だ」と感じるかどうかはこの運動の主眼とはならない。
社会運動なのだから、社会に於いてどのような影響力を与えられるのかが一番肝要なのである。

であるから、主に日本Twitter上でよく散見された意見である「脱コルセット運動参加者は皆一様に頭を刈って同じような格好・言動をして、それ自体がむしろコルセットのようだ。側から見るに、まるで宗教のようだ」と言う幼稚な皮肉も、『社会運動である』と言う一点に於いてのみ反論が可能である。
この皮肉の発言者は、BlackLivesMatterや# Metooと言う社会運動で皆が一様に同じようなプラカードを持ち公園や広場に集まっている様を見ても同じように「宗教のように右倣えだ」と皮肉を言うだろうか。社会運動という性質のものに参加もしたことがなければ一度も見たことも無い、敢えて形容するのならば、まるで子供のような意見である。



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