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主体性の幸福(2)赤ちゃんの主体性とは?運動主体感

スタッフによる連載コラム「主体性の幸福」をお届けします。
前回の記事はコチラから。

赤ちゃんが「自分で決めて、自分でできること」
それは「体を動かすこと」
「自分でいごこちのいい姿勢になること」
というのが、前回の終わりでした。


赤ちゃんの体を動かして
姿勢を変えてあげることは、大人にもできます。
ですが、

①「今、どんな姿勢がいごこちいいか」
 って究極、本人にしか分からないことです。
 それは赤ちゃんも同じですよね。

そして、

② 自分で動くことでしか得られない感覚は
 大人が赤ちゃんのかわりに「感じてあげる」
 「慣れあげる」ってことは、できません。


自分で動くことでしか得られない感覚。
その1つに「運動主体感」という感覚があります。

大人に体を動かしてもらうんじゃなく
自分で動くと
「いま私、自分で動いたな」
と感じます。

・・・え、当然じゃん!
と思うかもしれませんが、実はそうでもないんです。


「自分で動いた」
「私が動こうとしたから、動いた」
という運動主体感を感じるのは、

・脳から体に「こう動いてね」と指令が出て
・体が動いて、
・体から脳に「こんなふうに動きました」と報告が戻り、
・脳が「なるほどこうなったか」と確認する

こんな情報のやり取りの結果なんです。

(参考・嶋田総太郎「脳のなかの自己と他者: 身体性・社会性の認知脳科学と哲学」)


「脳と体」だとわかりにくい時は、
テレビゲームの「スマブラ」とかをご想像ください。

コントローラーを操作するとキャラクターが動く。
画面を見て(視覚からのフィードバック)、
キャラクターが操作通りスムーズに動いてれば
「自分が動かしてる」
と感じます。

ちなみに私はゲームに慣れてなくて、
いとこたちとスマブラをプレイする時はいつも
間違ったボタンを連打しながら
「違う!反対に走って!ジャンプしなくていいー」
と、場外になってました。

この状態では「自分で動かせてる」とはもちろんまったく思えません。


「自分の体を動かそうとして、動かせる」
そう思えるのは、いつ頃なんでしょうか?

じつは、すでに胎児のころから
運動主体感は発生していると考えられます。


こんな研究があります。
12~35週ころの胎児は、手を口に運ぶ運動をくり返します。

これは長い間「偶然の動き」だと思われていましたが、
19~35週になると、手を口に持っていく前に、
口を開けるようになります。

指をしゃぶれるようになるんです。
これって、実はすごいこと。

「手がたまたま口の近くに行った」じゃなくて、
「たまたま口が開いただけ」じゃなくて、

「こういうふうに動くと、手が口の近くにいく」
ってわかっている。

だから、指をしゃぶるために
前もって「口を開ける」という準備動作をする。

ということは、自分の運動を「予測」できる力が、
胎児のころに、すでにある!ということ。


もちろん、まだできないことは沢山あって、
スマブラでいえば「必殺技を出す」とか
「連続コンボを決める」とかはできないかも。

でも、もうコントローラーは持ってる。

脳は「こう動いてね」と、
結果を予測しながら指令を出している。
「こうなりました」って感覚もフィードバックしている。

ということは、その結果生まれる
「自分で動いた」という感覚、運動主体感も
赤ちゃんは感じはじめているはずです。

(参考:田中友香理「乳児期の運動主体感の発達過程とその社会的機能」)


つまり生まれたての赤ちゃんも
「自分で動いたのか、他者に動かされたのか」
の区別ははっきりできているし、

「自分で体を動かそうとして、動かせた」
って経験をしているのです。

大人とは違う感じ方かもしれませんが、

「自分でできた!」
「やってみて、成功した!」

という感覚、達成感、嬉しいような気持ち、などを
すでに感じているのだと考えられるのです。


世界と「初めまして」自分の体と「初めまして」
・・・という時期の、赤ちゃん。

人生の入り口で、たくさんの「できた!」を体験して
「もっとやってみよう!」と感じられたら。。

それは、生きていく上で土台になるような
とてもハッピーなことなんじゃないか。
そんなふうに思います。


赤ちゃんの主体性とは「自分で動けること」

そして、そこから得られる感覚や学びは
意外と複雑で深いこと。

さらにさらに「ちょっと素敵なんじゃないか」
・・・ということ。

イメージが深まったら嬉しいです。

~~次回につづく~〜

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