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【第1章1-3】高学歴女性が労働市場で直面する課題

1-3 高学歴女性が労働市場で直面する課題

 女性が家庭から次第に解放され、男性と同様に働き続けるという選択ができるようになるまでには戦後数十年間を要した。大学教育を受けた「高学歴」を持つ女性は知識技能的には同窓の男性に劣らないはずである。この大卒女性は卒業後、果たしてどのような労働環境に囲まれることになるのだろうか。

 日本労働研究機構では1996、1998年に大卒女性のキャリアパスを調査するプロジェクトチームが結成され、報告書が刊行された。それによると、調査当時大卒女性の就業カーブはM字ではなく「きりん型」(平成11年版女性労働白書)であった。20代、30代前半では他の学歴より就業率が高いが、その後急激に下がって、他の学歴のように中高年の再就職の山は来ず、総合的には大卒女性の全体的な労働力率はあまり高くなかった。1997年にはM字型に近づいているが低学歴女性との差はあまりない。諸外国では高学歴化と労働力率上昇が正の相関であるのに対照的である。(脇坂 2001)また低出生率国であるドイツ・イタリアと比較しても、両国の女性の労働力率は1994年当時既にM字型を脱却しており、日本では女性の就労後の出産育児や介護の負担が大きいままであることがわかる。(総合研究開発機構 1994)ただし2016年のOECDによる「教育に関する調査」(OECD 2016)では、日本の大卒女性の約3割が就労しておらず、未だ人材活用が不十分であるという指摘も受けている。高学歴化が進んでも、その先の就労が平等にならなければ、完全に男女平等と言える社会にはなれない。

 この章では前章までの女子教育と女子労働の「男並み化」によって高学歴女性が誕生し、社会に進出してきたことを踏まえ、近年高学歴女性が抱える課題について分析する。法律や経済構造によって女性が男性と同様にフルタイムで働くことが理論上は可能となった現在、いまだ男女格差は埋まっているとは言い難い。エリートであるはずの高学歴男女でも完全な結果の平等は実現されていない。女性管理職・役員比率は先進国の中でも小さく、全国民を代表するはずの女性国会議員は1割にも満たない。これは世界的にも非常に低く、IPU(列国議会同盟)の調査によると、全国会議員に占める女性議員の割合で日本は平均を大きく下回る9.3%で、193カ国中163位である。(朝日新聞 2017)また、新たに出現した情報産業で生まれた職域でも男性が高スキル職を占め、女性は事務的な性格の強い低スキル職に吸収されている。一体何が高学歴女性の社会進出を阻み、企業や集団内にガラスの天井を作り出しているのだろうか。この問題を解決しなければ、女性が高学歴を得ることの効用が男性よりも低いということになり、下の世代の高等教育へのモチベーションが停滞する。学歴の効用に関しても検討が必要である。

1-3-1 学歴社会と高学歴女性の評価

 日本は学歴社会であると言われることが多い。若いうちに得た学歴によってその後の人生で就ける職業が変わり、経済力にも影響するだろうという見方が一般的にある。なぜ学歴が社会的な価値を持つとみなされるようになるのだろうか。

 近藤(2015)によると、学校教育には3つの社会的機能がある。1つ目は社会化である。社会生活に必要な知識やスキル、価値や規範、専門的な職業能力までを系統的に教える場所は学校以外に存在しない。文化を教えることは家庭や地域社会でも行われるが、デュルケムが「教育は未成年者に対する体系的社会化」であると定義したように(デュルケム 1976)、学校は次世代の文化的形成にとって極めて重要な機関である。2つ目は選抜・配置の機能。学校では個人の学力測定のためのテストや試験による進級認可や入学・卒業資格の付与を行う。これによって学生は学力の高低によって異なるレールの上を走ることとなる。この選抜・配置の結果は社会の不平等構造、階層醸成に関係しているために、社会的に非常に重要である。先行研究でも、個人の学歴が卒業後の職業や所得に影響していることは明らかになっている。(濱中 2013)その一方で、教育機会が不平等な社会の場合、親の社会経済的地位によって学力が左右されることとなり、学校における選抜・配置の機能を通して社会階層の再生産が行われるという負の側面もある。(近藤 2015)3つ目は組織化・正当化の機能である。学校制度は卒業者に学歴のラベルを与えるだけではなく、学問領域や学科区分を通じて知識の分類を制度化し、各教育内容に関連付けて専門職の資格を定義し、知識の担い手である専門家を社会に輩出している。医師や弁護士など伝統的専門職だけでなく、近年の多様な職業分野の資格化の動きに伴って、学校制度に関連した資格取得ルートが定められる傾向にある。この傾向は学校制度が現実に見合う知識体系を定義する力を持ち、知識の担い手を育成して適切な場所に配置する権限を委ねられていること、つまり社会の組織化に深く関わっていることを示唆している。(近藤 2015)これが学歴主義の実態である。学校は標準化され国や地域を超えて信頼されている制度の力によって、学歴主義への疑問を封じ込め正当化してしまう。この制度の信頼を維持するために不可欠な学校教育の質の保証に関した議論が近年高まっているが、これは学歴主義が象徴的な意味で社会に浸透していることの裏返しでもある。学校制度は社会を教育的に組織化し、社会関係を正当化することに貢献しているのである。就職の際も、学歴や資格といった普遍的基準を介在させることは、候補者の努力の証明であると同時に出身背景で差別を行わないという、ある意味では公平であるという見方もできる。(近藤 2015)ただしこのときの教育費用の支払い能力の有無による階層再生産が起きるという不平等については解決されない。

 本論文で取り上げる東京大学ではどうだろうか。東大に入るまでに、学生は成績の良いものが上位になる「出来の良さ」の価値観に倣い東大のような上位校に「選抜」され、「市民的エリート」(東京大学憲章前文より)となるべく「配置」されている。従って、学校の中の「社会」のルールに適応したものが残っている可能性が高い。さらに入学後は専攻学部や研究分野によって各エキスパートが「組織化」され、各組織のリーダーとなるべく卒業していく。(「東京大学は、東京大学で学ぶに相応しい資質を有するすべての者に門戸を開き、広い視野を有するとともに高度の専門的知識と理解力、洞察力、実践力、想像力を兼ね備え、かつ、国際性と開拓者的精神をもった、各分野の指導的人格を養成する。」(東京大学憲章Ⅰ.学術(教育の目標)より))官僚になるものは特に、社会のルールを作る側に回る。そしてこの社会的地位の獲得によって、東大という学歴は社会で一定の価値を認められ、学歴の正当化に寄与すると考えられる。

 また、大学では高校までの義務性の強い教育とは異なり、学生に求められる主体性が強くなるとはいえ、東京大学という国立大学におけるカリキュラム改革についても教育社会学の議論を用いて考えることができよう。学校教育においてカリキュラムという概念は西欧を起源として、近代的な学校教育制度の導入とともに日本社会に根付いていった。近代化を早急に進めるために、日本の学校教育は現在に至るまで国家の強力な管理統制のもとに発達してきた。(木村 2015)ただし戦前の大学進学率は男性でも1割前後(中央教育審議会 1999)で、高等教育は全国民のものではなく、一部の官僚を養成するためのエリートのものであった。

 カリキュラムは徐々に「国民が身につけるべき知識」という国の判断に基づいて法制化され、「正統化された知識」の位置を獲得していく。(木村 2015)それをいつしか国民は学校が提供するカリキュラムを「絶対的真理」あるいは「必ず我々が学ぶべきもの」と信じがちになる。しかしイギリスの教育学者のJ.ウィッティは「学校知識とはそれよりもはるかに広範囲にわたって存在している知識からの選択を通じて生み出されたものである、その内容に対しては社会的な規定が加えられている可能性がある」と指摘した。(ウィッティ 1985=2009)戦前の主に国家による社会的規定の強制はナショナリズムに繋がったが、戦後もこの社会的規定は学習指導要領という法的な拘束力を持つ規定において生き続けている。国によるカリキュラム統制は時代依存的に強化・緩和で揺れており、カリキュラムが社会的に規定されたものであることの証左となっている。(木村 2015)大学では個人は専門分野を選び、おおまかなカリキュラムに従って自分で履修を組むことで、高校までよりもはるかに能動的に学問と向き合う機会を得る。しかしセンター試験結果を合格判断基準に含めている多くの国公立大学や一部の私立大学があるように、大学に入るために国の定めた「正しい知識」を体系的に習得していることは高学歴を得るためにも重要である。東京大学ではセンター試験(一次試験)で一定以上の得点を取らなければ「足切り」され、二次試験を受ける資格を与えられない。またセンター試験が合格判断に用いられる得点合計に占める割合は2割(東京大学 2017)と、決して少なくない。最高学歴と言われる東京大学に入学するためには、高校までで学ぶ国のフィルターを通した知識体系を、表向きだけでも素直に吸収している必要があるのである。東京大学に通う学生を分析する上で、入学以前も含めた学校教育の機能について分析を行うことは決して無意味ではないと思われる。

 日本は学歴社会であるといわれる。70年代から大学進学率が上昇し、下級ホワイトカラー層やブルーカラー的職業にも大卒者が進出した。その際企業は採用基準に職業能力ではなく、大学の銘柄に示される大学入試時の学業成績を、入社後の教育訓練に耐えうる指標として置いた。(濱口 2013)しかし、一方で学歴の効用は実態よりも軽視されているのも事実である。大学進学率が今や半数に迫り、大学が大衆化したという事実や、毎年メディアで報じられる大卒者の「悲惨な就職活動」がその世論を増長させている。この学歴不信とも言える現実について濱中(2013)は、①学歴の効用が全般的に低下している、②大卒だからといって安泰な時代ではなくなった、という2つの認識によって形成されていると考えた。さらにこれらの認識の背景には、①効用低下の実体験、②試金石の欠如とメディアの影響、③早すぎた高学歴化があると分析している。

 まず①に関して、80年代にはどの世代でも賃金低下を経験したと同時に、高学歴化も進んでいた。この時期に戦後の新制大学を卒業した第1世代は現在時代の担い手、ベテランとみなされる50代を迎えている。彼らは自分が大学を卒業したにも関わらずその成熟期に景気悪化による賃金低下を経験し、学歴の効用を疑っただろう。また戦後ベビーブーマーの団塊の世代は日本の人口のボリューム層であり、その経験が共通理解化・一般化されやすい。この団塊の世代は働き盛りの30代に賃金低下が始まり、40代を迎える90年代まで水準は右下がりであった上、ベテランとみなされる50代になる00年代でも上昇せず停滞していた。この景気停滞に伴う一部の世代の賃金低下の実体験が、大卒の効用についてまことしやかな否定的言説の根拠となっていることは想像に難くない。

 次に②に関してだが、大卒就職率は実際は9割前後と非常に高い。しかし高卒や専修学校卒でも7,8割は就職しており、他の学歴と明白な差がないことも事実である。そのため効用推移の比較対象としてバブル期の、大卒であれば企業から引っ張りだこだった超売り手市場の時代が出されるのである。これは日本史上かなり特異な時期であるために、比較対象としては不適切である。そして、マスメディアの就職に関する報道姿勢にも過剰な印象操作が見受けられる。例年大卒就職率は最終的には9割前後に落ち着くため、年によってそれほど差はない。ところがテレビや新聞では「就職氷河期」「売り手市場」といった劇的な文句が並び、インタビューは何社も落ちた学生ばかりが映される。視聴率や購読率を上げるためにはセンセーショナルで社会不安を煽りやすい内容が効果的であるために、大卒の就職事情は過剰に不安定に印象付けられている。

 最後に③に関して濱中は、ドーア(1978)の「後発効果」という概念を用いて日本の急速な高学歴化を説明している。他の諸条件が等しければ—つまり教育モデルが世界的に標準化されているのであれば、開発の開始が遅ければ遅いほど①修了証書が求職者選別に利用される範囲が広くなり、②学歴インフレが進むのが早く、③真の教育を犠牲に学校教育が受験中心に傾き、④学歴インフレが政府主導で進められる上に受験中心教育に疑問が生じるため、学歴不信が高まるという説明である。(濱中 2013)

 大卒の効用は過小評価されている。しかし、濱中(2013)は大学で獲得する学習習慣にこそ意味があるという。卒業後賃金を多く得ていることを経済的に「効用がある」とすれば、それをもたらすのは自己学習、「最近1ヶ月に、自分の意思で仕事に関わる新しい知識やスキルを身につけたり、資格をとるための勉強を」することであり、社会人に取ってその手段は概ね読書である。大学時代に思想書や専門書を読む学生は卒業後ビジネス書にも手を出しやすいという研究結果もあり(濱中 2013)、学歴効用があると言える。これを踏まえると、高校までは7割が普通科であり専門書を読むインセンティブが少ないが、大学進学後に専門を固定され、自由な時間を与えられて行動する契機を与えられることには一定の価値がある。この専門書を機に読書のジャンルが広がり、効用が膨らんでいくのは大学進学の1つのメリットになりうる。「若者の読書離れ」が起きていると言われていることは事実だが、専門書に関しては真ではない。ここで起きている、「とりあえず専門書を読んでいれば」という行動から卒業後の読書習慣に、さらにそれが所得向上に繋がるという連鎖は重要である。そしてこの連鎖を支えているのは大学進学によって得られる「時間」と「専門」であり、大学進学には学歴効用をもたらすことが期待できる。(濱中 2013)今後平均寿命・健康寿命が医学の発達によって大きく延長するという予測がされているが、その時幼少期・生産労働期・老後という3ステージの従来の生き方では老後資金はおろか、勤続中のスキルの陳腐化を防げない。生産性資産の維持向上のためには自由に使える余暇時間を意識的にとり、「レクリエーション(=娯楽)ではなく、自己をリ・クリエーション(=再創造)」する必要があるという。(グラットン&スコット 2016)これを大学などで学ぶ自己学習習慣が大きく支えることになるだろう。

 それでは特に女性にとって、高学歴とは何をもたらすものなのだろうか。戦後に性別役割分業観と男女平等観がぶつかりあった女子大学無用論の時代には、女性にとって東大ですら花嫁学校であると言い放った東大職員もいるが、これはある意味では真でありある意味では全く間違っている。(小山 2009:168)自らが高学歴になれば高学歴の相手と出会う機会も増え、結婚の確率も高まるという予想が立つ。(森川 2012)また本論文で注目する東大卒女性もその例に漏れない。(さつき会 2011)また、結婚市場において配偶者所得が学歴に比例して高くなりやすいのは女性であるという分析(濱中 2013)もある。さらに四大卒という学歴の効用は正規・非正規・結婚全てに確認できる「女子にとってどのような選択をしようとも経済面での有利さをもたらしてくれる「オールマイティー」な教育機会」であると言える。(濱中 2013)しかしインタビューや資料分析を行うと、特に東大卒女性でいうならば結婚を目的として高学歴を目指すという動機は非常に少なく、社会に出ても独立して食い繋いでいくという目標から逆算して高学歴を取得しようとした女子学生の方が圧倒的大多数であった。結婚はそこで価値観の合った人々が集まったことの延長線上にある結果に過ぎないように思われる。

 女性の大学志願率について、興味深い分析がある。男子の大学志願率(進学需要)は家計所得に比例、価格としての私立大学授業料に反比例、投資効果変数としての失業率に比例、大学合格率に比例するという理論的に理解可能な説明ができるが、女子については授業料に比例、失業率に反比例する。(矢野・濱中 2006)濱中(2013)は、この原因は女性が卒業後に選択を迫られる「働く/働かない」「働き続ける/働き続けない」という重要な変数が欠けていることにあると仮定し、20代後半及び30代前半の女子の労働力率を新たに変数として分析した結果、一転して経済理論的に理解可能な説明がついた。女性が4年制大学に進学を希望する際、まずは所得が上昇すると大学進学を希望する家庭が増える。私大の授業料は男性と異なり志願率に影響しない。投資効果変数として20代後半から30代前半の女子労働力率が上がると、「有利な働き方に結びつく進路選択をしよう」という、正規社員として働く場合に大きな効用をもたらす四大への需要が高まる。一方で短大・専修学校の需要は低くなる。しかし失業率が高まると、「どのような状況でも食べていける術を身につけよう」という投資意欲が高まり、短大に劣らない経済的効用がある上に非正規として就職しやすい専修学校の需要が高まり、四大と短大の需要は低くなる。(濱中 2013)卒業後に女性が働き続ける社会では女子の高学歴志向が高まるという結果であった。つまりこれ以上の高学歴女性の質・量共々の増加と社会的活用を目指し、女性にとっての学歴の効用を高めるためには、女性が雇用の入り口を通過するだけでは不十分であり、その後長く働き続けることが当然の社会を実現しなければならないということである。

1-3-2 高学歴ワーキングプアと低スキル職

 学歴の効用が実感できない原因として、近年関心が高まる、大学を出ても十分な収入を得ることができず貧困に陥る「高学歴ワーキングプア」の問題がある。これは実は、女性ならではの問題でもある。高学歴ワーキングプアの最大勢力は英語担当の非常勤講師であり、且つその英語の非常勤講師には他の科目に比べて女性教員が多い。「高学歴ワーキングプアの問題は男性よりも女性にとってこそ切実」(大理 2014)であり、これはガラスの天井が各階層に存在することを意味している。学術分野での男女共同参画の現状は国際的にも際立って低く、大学などの研究教育機関でも人的構成におけるジェンダー・アンバランスが著しい。(辻村 2016)教育機関の女性教員割合も、小学校で6割以上いる女性教諭が中高と上がるにつれ割合が下がり、大学では講師が約3割から准教授、教授と段階が上がるにつれて女性の割合が低くなる。さらに理系分野では女性比率は大きく低下する。(辻村 2016)

 既に90年代にはこのアカデミアの問題が指摘されていた。日本学術会議の7つの常置委員会のうち、第二常置委員会は「学問・思想の自由ならびに科学者の倫理と社会的責任、および地位の向上に関すること」を調査審議する義務をおびるが、その義務に従って、1991年7月から94年7月までの第15期活動計画の一つに「女性科学者の地位向上」問題を取り上げた。委員会は日本学術会議第118回総会で「女性科学研究者の環境改善の緊急性についての提言」を声明として発表。これと並んでの要請の結果、第16期の研連委員2370名中84名が女性委員となり、前期の33名から大きく数・比率共に伸ばした。翌1995年に「女性科学研究者の環境改善に関する懇談会(JAICOWS)」が発足した。(JAICOWS 1996)

 彼らは、女性は大学までは試験で通れるが、研究者としての引き上げについて、男性には教授など直接経路が多いのに対し、女性は家族や知人など間接的な人脈からが多く、不均衡であると指摘した。また、女性研究者問題は研究労働という専門職業に関わる問題だけならず、女性問題と労働問題という側面も持っており、複雑な構造を呈しているといった問題自体の問題性も指摘している。男性のセクシズムの強さに加え、科学研究の労働市場が自由化され、合理的且つ効率的になるほど、研究の中断が自由競争市場での敗北を意味することが自覚されていることも問題の原因であった。あるいは科学研究におけるセクシズムが研究体制だけでなく、男性にとっては合理的で効率的だと指示されてきた研究の枠組みや研究者の思考様式そのものにまで及んでいるという指摘もある。(JAICOWS 1996)

 高学歴を得た学生が自らの受けた教育内容をそのまま仕事にできる代表的な職場である大学教員市場は、一度でも正規雇用のレールに乗れば論文の成果にあまり関わらずあがることができる「平等」な世界であり、レールに乗れない者は「努力能力が足りなかった」と運良く乗った者から言われてしまう。(大理 2014)そして運良く乗れた者のほとんどが男性である。博士課程の院生数は女性は80年代に数・割合ともに増加し、2007年には総数の30%に達した。他方、専任教員の女性比率は最下層的地位である助教までを含めても2000年代に入って漸増の結果としてやっと20%を超えた。国立大学は規模に関わらず際立って低い。(日本学術会議科学者委員会男女共同参画分科会2014)女性研究者の非常に多くが歴代専任ポストを得られずにアカデミアから「脱落」してきたという歴史がある。特に人文学は大学専任教員になる以外で研究者として生計が立てられないにも関わらず、博士の学位を取ることが難しい。ポスドク問題は人文学にとっても根深い問題である。

 高学歴ワーキングプアの多くは前述の通り、非常勤講師である。高学歴化が進む一方で、雇用市場が高学歴者向けの高スキル職が直ちに増えるわけではなく、高学歴者の余剰労働力は教育業界の拡がりによって吸収される。(近藤 2015)しかしその雇用創出機能も飽和状態に近いように思われる。女性教員の実に40%が非常勤講師であり、男性の21%よりも格段に多い。さらに本務校は別にあり、アルバイトとして非常勤講師を兼ねている人の男女比は8:2で、男性のほとんどが非常勤講師以外に本職の収入源をもっている。つまり、女性はなぜか男性より非常勤に吸収されやすく、非常勤職への依存度も男性より高くなりやすいということだ。業績が同じ男女を比較した場合もステップアップできる割合は男性の方が高い。さらに非常勤職の男女の業績差にも有意な差がなく、業績が出世に関係するわけでもない。(大理 2014)また女性研究者が少ない理由に関しては、家庭と仕事の両立困難、育児期間後の復帰困難、評価者の中に男性優先の意識があること、男女の社会的分業、ロールモデルの不足などの理由を挙げる傾向が強い。一方で男女間の能力差を理由とするものは皆無に近く、社会的なジェンダー・バイアスがアカデミアでも女性の昇進を阻んでいることがわかる。(辻村 2016)

 以上で論じたように、高学歴女性の貧困はとりわけその人の意思や努力との相関関係が強いわけではなく、むしろ社会制度やシステムなどの構造的な問題であることは明らかである。

 アカデミアでも女性は正規雇用に就きにくいが、ICT職のようなニュー・エコノミーでも似た構造が見受けられる。産業革命によって工場労働者や経営者という新たな職域が誕生したように、情報革命と呼ばれる現代においても、新たな第3次産業の職域、特に情報産業などで職域が拡大した。女性は高スキル職の中では文化産業に多く進出し、その文化産業では個人自営業など新たな雇用形態も増加しており、自由な雇用のあり方が期待できる。しかし全ての女性が高スキル職に進出したわけでもない。女性の多いICTやKIS部門には低スキル職ももちろんあり、職域の底辺に位置する狭い範囲の職業に女性が従事する状況が依然として存在するという点では、従来と変わらず雇用のジェンダー化がニュー・エコノミー内でも起きている。(大沢 2015)欧米先進国と比較しても、日独米英で差はあるものの、概ねICT職のジェンダー構成は同じである。つまり、新たな雇用分野で女性に新たな機会が生まれているというより、そこでも従来の職域分離パターンが続いているのである。女性が職業従事者数の多数を占めるものは少なく、男性はより多様なICT職で多数派である。女性比率が40-60%のジェンダー混合が見られる職業は極めて少なく、コンピュータ操作やアプリケーション技術者などごく一部でしかない。特に日米では低スキル職で女性が多数派を占めている。女性はICT部門の雇用の1/3以上を占めているが、関連する職域の中でも低スキル職、しかも比較的限定された職業に集中しているというのが実情である。(大沢 2015)ソフトウェア開発やプログラミングといった高スキル職には男性が多く携わる一方、OA機器などの操作、データ入力、文書管理、ファイリング、財務処理などの単純定型事務労働では圧倒的に女性比率が高い。またこのような単純労働は正社員ではなく、派遣社員などの非正規労働者に委託されている。(竹中 1991)女子労働力の増大の大部分は「男性が参入することを望まないような二次的労働」の増大の結果である。従来男性が働いていた職域にIT化によって細分化され単純化した仕事が生じることで、男性より低位な条件(低コスト)で女性が進出するのであって、その具体的形態がパートや派遣、補助的労働への女性の集中が見られるということだ。(竹中 1991)

1-3-3 女性が出世できない理由

 男女が入り口で差別され、制度上でも差別されていた時代はもはや過去のものである。今や高学歴女性たちはどんな企業にも食い込んでいける—というわけでもない。確かに就職状況において学歴社会といわれることの多い日本では高学歴女性の道は法改正によって大きく拓けた。この数十年間で徐々に職能での女性蔑視はなくなりつつある。高学歴女性は出産・育児期に継続就業率が他の学歴女性と比べて高く、6歳未満の子供がいる場合も学歴と就業率は比例する。(矢島 2009)

 ところが2017年現在の日本の女性管理職の割合は比較的高い調査でも6.9%と異様に低く(帝国データバンク 2017)、上場企業の女性役員の割合に至っては2016年7月時点でわずか3.4%しかいない。(内閣府 2017)ここでは詳しく分析しないが、2015年時点で欧米先進諸国ではクオータ制を導入している国などでおよそ20%から30%超の女性役員率を記録しており、クオータ制のないアメリカでも17.9%とはるかに高い。(内閣府 2017)勤続年数は男女ともに会社の規模に比例し、女性管理職比率に反比例するが、どの分類でも男性より女性の平均勤続年数は2、3年短い。(労務行政研究所 2015)継続就業、賃金水準、管理職比率などで男女差は明白である。(大槻 2015)入り口は同じはずなのに、なぜ日本で高学歴女性は出世しにくいのだろうか。

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 この原因を、大理(2014)は職場内の「庇護移動」機能が男性に働く一方で女性には働かないからであると考察した。庇護移動の機能とは、「オールドボーイ・ネットワーク」「家父長制的支援システム」であり、先輩が後輩を庇護し、自分たちの後継者として育て引き上げることが行われる。ところがこの仕組みは女性にはほぼ機能しない。特に人事評価制度に大きな影響力を持つ近い上司や企業の頭脳と言われる取締役会などのポジションに女性がいないことは、女性の登用や雇用の度合いを左右する。(竹信 2010)帝国データバンクによる、有効回答を全国の42.5%を占める1万93社から得た調査(帝国データバンク 2017)では企業での女性の立ち位置について興味深い結果を示した。全体的に過去の同じ調査よりも各地位における女性の割合は微増してはいるものの、女性従業員の割合は平均24.6%、女性管理職の割合も平均6.9%である上に、女性管理職が全くいない企業は49.2%と半数近い。女性役員の割合は平均9.3%であり、これも1割に満たない。一方で社長が女性の場合は女性管理職割合が平均20.5%、女性役員割合は平均40.0%であり、社長が男性の場合よりも女性が昇進・昇格しやすい傾向にある。また労務行政研究所が2015年に行った全国上場企業相当の企業が対象の調査では、女性管理職比率は4.9%(課長層11.5%、部長層3.6%)、役員比率は2.1%であった。(労務行政研究所 2015)いずれにしても日本の企業が男性優位社会であることは疑うべくもない。無論、雇用や人事におけるあからさまな男女差別が禁じられている以上、出世は庇護移動だけで決定することはないだろう。しかし競争移動の複合で出世が決定するのだとしても、一方の移動決定要因が欠如していることは男女の出世に相応の差をもたらすだろう。(大理 2014)

 また、入社後に与えられる経験値にも差が生まれていることで、その後の出世に必要なスキルの習得速度に影響を及ぼすという指摘もある。研修や配属される仕事の難易度なども男女で選別され、SEなどでも入社時の知識・スキルに関わらず男性は昇進し、女性は男性と比べると昇進していない。女性の中で昇進できているのは、入社時に既にかなりのスキルを持っている女性のみ。つまり、配属や仕事の割り振りの時点で男女に人的資本の差があり、それが適切に反映された結果昇進につながっているという仮説はなりたたない。そもそも職務を通して与えられる知識・スキルの量が男女で違うためである。(大槻 2015)能力主義評価を実現するためには公平な競争の保証が必要だが、庇護移動や教育が男女で差があるのであれば、競争移動も平等に行われているとは言い難い。

 総合職のようなジョブローテーションを前提とした職種だけでなく、一定の習熟度を要する専門的スキルを持っているはずの専門職内の職務もジェンダー秩序に従って意識的、無意識的に分類されていることがある。この分類は当の専門職従事者や顧客などによって行われ、男女のセグリゲーションを創出・維持してしまっている。これは資本主義と家父長制の相乗効果の結果であり、女性に「向いている」とされる仕事には家事労働で行われるものと類似している。(竹中 1991)女性は労働市場でも、掃除、調理、給仕、裁縫、教育、販売、ケアをすることが多い。水平的分断ではこの社会化された家事労働に類する専門職、例えば助産師、栄養士、看護士、保育士や幼稚園教員などに女性が集中するが、これらの専門性は過小評価されており、経験年数による賃金上昇がほぼない。(竹中 1991)垂直的分断の例として、男性の多い専門職内でも、専門的知識や技能資格を持ち、管理的能力を要する分野は男性が、判断力をそれほど要しない定型的業務には女性が固定的に配分されやすい。(竹中 1989)具体的例を挙げると、税理士でも女性は税務会計の細かい仕事、男性は経営相談など判断・決断を要する仕事を任されることが多い。日本企業のトップにいる男性たちはその種の仕事が女性に適しているとみなして、古典的な単純労働と広義の接遇労働に配置してきた。(熊沢 2007)そしてこれらの、いわゆる女性の「特性」に適するとされるものは中核の高スキルとされる仕事とは結びついていない。この結果、管理職の偏見によって仕事の割り当てや昇進が女性に不利になり、それを指摘することのできる当事者が制度設計をする側になることも少ないので、制度上も女性が不利になる。(大槻 2015)また、大学卒業時までに得た知見・習慣の効用は卒業後すぐ効果を発揮するものではなく、45歳以上になるとようやく有意にプラスとなり、間接効果として発揮されてくる。(濱中 2013:75)結果的に女性が仕事に熟練する前に辞めてしまうことが多いという慣例が、周囲でも「女性は仕事ができるようになる前に辞めるので男性を先に教えた方が会社にとっても効率が良い」という、因果関係が逆の女性に不利な推論を強化・再生産させてしまうと考えられる。

 また、会社内で出世していくためにはその内部の組織知が重要であると言われる。しかし上層部の男性上級管理職の集団知・暗黙知である場合が多く、ジェンダー化されている。これは男性支配の組織内で「うまくやっていく」ために必要な知識であり、それが埋設されているためにますます女性は上層部に食い込んでいきにくい。フリーランスにとっても個人的ネットワークは重要であるため、同様の現象が起こると考えられる。このジェンダー効果についてははっきり実証されていないが、おそらく男性中心のネットワークという非公式ガバナンスは女性には不利益となる。(ゴットシャル&クロース 2015)

 東大理学部を1971年に卒業し、日本IBMで女性初の取締役となったU.Yは、女性が入社時は男性より優れていることがあっても差がついていく理由を「Glass Ceilingではなく、Glass Wallのせいではないか」という。(さつき会 2001: 140-141)男性社員は入社1年目から身だしなみやマナーについても周りから積極的に指摘や叱咤を受け、学ぶ機会が多いが、女性社員は「腫れ物にさわるように大事にされ」、教育の機会が結果的に男性より少なくなっているということである。これを解決するには職場での女性の数を増やし、「腫れ物」扱いされない、教育して当たり前の存在として女性を認識させることが重要である。学校教育の一次的効果として、高学歴者の蓄積が社会の仕組みを能動的に変えることが挙げられる。例えば技術革新の行われた職域に高学歴者が集まるというのが教育の二次的効果だが、そもそも高学歴者の多い職場には先端的技術が導入されやすいという一次的効果も高等教育にはある。(近藤 2015)同じことが高学歴女性にも言えるのではないか。職場に高学歴女性が増えることが、能動的に企業や社会の仕組みを女性が働きやすく変える力になるだろう。

 女性がしばしば排除される大義名分とされてきた、「男性にしかできない」職業は数多くあった。その根拠は家父長制価値観であり、家制度の盲信であった。しかし、逆に高学歴女性にしかできない職業はないのだろうか。その答えは、高学歴女性が初めて社会というゲームのルールを作る側に回ったとき初めて成し遂げられたことが示している。それはつまり、女性の労働環境の整備であり、雇用差別を糾弾した均等法制定であり、女性の国籍に対する優先度を男性と同等に押し上げた国籍法改正であり、女性の社会的地位を改善するために活動した女性団体であった。当事者の代表として問題を自らのものとして突き詰めて考え、ガラスの天井や壁に穴を開けた高学歴女性がいなければ、日本の女性の社会進出という自由への歩みは滞っていただろう。

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