11/30 痛みを確認する作業
初めて引用機能使ったけど、これであってるのかな?というのはさておき本題へ。
大好きで大切にしている曲。
本当にその通りだと思う。
時間は解決してくれるけど時間が全てではないと思う。時間が経つにつれて自分の中でのそのものごとの捉え方や考え方が変わってきて、その過程のどこかでフィットするタイミングがあるんだと思う。だから時間が必要なんだと思う。
思う3連発。ダメですね。なんてのはいいんだけど。
ちょっとだけ時間が経った。
色んな気持ちになった。
最初は毎日違った感情になった。
こんな感じでnote始めちゃうような人間なので、この感情の起伏さえも記録したいと思った。
モヤモヤとしたものは言語化しないと頭の中で彷徨って苦しくなってくるから、皆が落ち込んだり怒ったりしている中で1人冷静にツイートしていたり。(それによってネガティブに巻き込むのは申し訳ないなということでこの場を用意した。)
とにかく悲しくて涙が止まらなくなったり、食欲が無くなって眠れなくなったり、そんな日々を過ごしても時間が経ったら忘れていくもので。
傷ついた出来事を忘れていくのは当然ハッピーなことである。泣く程辛いことを思い出したい人なんていない。
でも何故だか"完全に忘れる"ということをしたくないらしい。
忘れてきたら、そう言えば最近忘れてきたなって思い出す。
思い出すだけならまだいい。かさぶたをめくる子どものように、蓋をしかけた気持ちが溢れてくるまで掘り起こしてしまう。
自らの手で自分の心を乱すように働きかけて沈んでいく。
忘れかけてきて自らの手でまた掘り返してみても取れないくらい頑丈なかさぶたを作り上げられた時、そっかもうこれで終わりなんだって思った。
あれだけ忘れたかったものを全て忘れてしまったときに決別を覚悟した。結局出来なかったんだけどね。
もう一度引用。
これは頑丈なかさぶたを形成する前、忘れかけては思い出していた時に出会った曲。ぼんやりと聞いていたらどきっとする歌詞が流れてきたことを覚えている。
私にはこの意識があったんだろうな。自分の手で抉りとることで痛みを確認する。その痛みこそがこれまで愛してきた形なのだと。
どれが正しいのかは分からない。そして私はまたかさぶたをむいている。時間をかけてだいぶ傷は固まってきたような気がする。
自分の手で思い出しながら時間をかけて導いている。
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