みんながすこしずつ不自由な世界は、理想郷ではないけど、それまでがとても不自由だったひとにはほんのすこし楽になっているかもしれない。

先日、こんなツイートがタイムラインに流れてきた。
https://twitter.com/sesere115/status/1293360374251569154

せせりさんは「質問箱」などのサービスを作った方で、私自身は質問箱は使っていないものの、過去にいくつかのサービスを使わせてもらっていて、かってに恩を感じていた。

ツイートをみて、語学関係ならちょっとは協力できるかなと軽い気持ちで連絡して、開発中のとあるサービスにテスターのような形で参加することになった。かんたんにいうと、多言語テキストコミュニケーションサービス、かな。自分のテキスト投稿が読み手の設定言語に自動的に翻訳表示されて、参加者はそれぞれ自分の母語で読み書きができるというもの。

もちろん既存のSNS、たとえばfacebookにも外国語の投稿には「翻訳を見る」というリンクがついていてクリックすれば翻訳文が見られるけれど、せせりさんのサービスが興味深いのは、投稿確認の時点で自分の文章がいったん別の言語に自動翻訳されて(DeepLという機械翻訳サービスを通した訳文)、それが更に原文の言語に再翻訳されて表示される点で、つまり原文と再翻訳文を読み比べることで、誤訳されていないことが投稿前に確認できるところにある。この「投稿前に」がポイント。原文と再翻訳文を見比べて、意味が変わってしまっている箇所があったら原文を調整して見比べて、を繰り返せる。訳文を見ただけではきちんと翻訳できているか分からなくても、原文と再翻訳文の大意が同じになるように原文を調整することで翻訳文に誤訳が発生していないことが確認ができるというわけ。再翻訳との見比べ調整はこれまでにも個人レベルでやるひとはやっていたことだけど、文を機械翻訳サイトにコピペして翻訳文をまたコピペして、という手順を自動化して手間を省いてくれているのがとても助かる。

機械翻訳については以前とある動画でお話ししたことがあって、そこでも話したように最近はとても精度が上がっている、とはいえやっぱり誤訳もあるから、そもそも誤訳を招きにくい文章を書く訓練はこれからの時代ある程度必要じゃないかな、と個人的には思っている。主語を補うとか、そういうレベルからの基礎講座があってもいい頃合いだよね、と。

で、テスターとして使用感を報告したり要望を出したりしながらあれこれ書いたり読んだりしていたら、「誤訳されないように文を書こうとすると、元の文章がぎこちなくなってしまう」といった意味の投稿があり、なるほど、と思ったので、私も次のようにコメントしてみた。

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私のコメント:
I feel that the point to remember is that there is a difference between writing for expression vs. writing for communication. When you are writing to express yourself or your thoughts and ideas, you have a certain level of freedom as to how you utilize the language and select a certain writing style, or come up with a neologism, etc. You are free to ornate your thoughts using the language. On the other hand, if the goal of your text is to communicate with the other party, you need to ensure that the you are conveying the message you need to convey. Your "expressive style" may be somewhat compromised in order to eliminate any room for errors. You may need to write in a "simplified Japanese" as seen in the NHK NEWS WEB EASY (www3.nhk.or.jp/news/e...). I feel it is actually a good training in that you will write more consciously and cautiously, depending on your goal (is it for expression, or for communication?)
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↑の、DeepLによる翻訳がこちら↓
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表現のために書くのと、コミュニケーションのために書くのでは違いがあると感じています。自分自身や自分の考えやアイデアを表現するために書く場合、言葉の使い方や書き方、新造語の使い方など、ある程度の自由度があります。言葉を使って自分の考えを表現するのは自由です。一方で、相手とのコミュニケーションが目的の文章であれば、伝えるべきメッセージを確実に伝える必要があります。誤字脱字の余地をなくすために、あなたの「表現スタイル」は多少妥協してもよいでしょう。NHK NEWS WEB EASY(www3.nhk.or.jp/news/e...)に見られるような「簡易日本語」で書く必要があるかもしれません。目的(表現のためなのか、コミュニケーションのためなのか)に応じて、より意識して慎重に書くようになるという点で、実は良いトレーニングになると感じています。
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で、上のコメントを書いた後で、日本語でも書いておこうと思って投稿した文がこちら↓
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他の方が、自分の文章を再翻訳したときにちゃんと意味が通じるように書こうとしたら原文がぎこちなくなってしまう、と書いていたので、私の思うところをコメントしてみた。私は、これは面白い実験だと思っている。それを出す場所やそれを作る道具によって出来上がるものが変わるのは致し方ない話で、例えばワープロ発売当初に、手書きで原稿を書いていた作家が「ワープロを使うようになってから文体が変わった」と発言したり、「縦書きの時と横書きの時とで書き方を変えている」という意見も見たことがある。文章に限った話ではなくて、最近のJ-POPはカラオケで歌われることを前提とした曲作りになっているとか、ボカロが流行った頃に「人間が歌うことを前提にしていない曲」が出てくるようになったと聞いたこともある。友人は絵を描くのが趣味で、イラスト系SNSに投稿するようになってからサムネサイズで目を引くように人物を大きく書くようになったと言っていた。これからもどんどん新しいツールやメディアが出てきたら、皆それぞれにそれなりに対応して、いろんな表現が出てきたり変化があるんだろうなと思う。

それこそこのサイトから「新しい文体」が生まれたら、それはとても楽しい世界だろうと思う。「自分の文章がぎこちなくなってしまった」という意見もわかるけど、いまは多分過渡期だから、まだ慣れていないっていうだけだと思う。その内、「引き出しが増えた」「いろんな書き方ができるようになった」になるんじゃないかな。
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ついでにこいつもDeepL翻訳↓
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Someone else wrote that the original text would be awkward if I tried to write it in a way that made sense when I retranslated my text properly, so I commented on what I thought. I think it's an interesting experiment. For example, an author who wrote his manuscript by hand in the early days of word processing said that his writing style changed after he started using a word processor, or he said he changed his writing style when he wrote vertically and horizontally. I've been there. It's not just about writing, I've also heard that J-pop these days is made to be sung at karaoke, or that when Vocaloid was popular, people started coming up with songs that weren't meant to be sung by humans. A friend of mine said that he enjoys drawing, and since he started posting on illustration-based social networking sites, he's started drawing people large enough to attract the eye in thumbnail size. If new tools and media come out more and more, I think everyone will adapt to their own way of doing things, and various expressions will come out and change.

If a new style of writing is born from this website, it will be a very fun world. I can understand the argument that my writing has become awkward, but I think it's just that I'm still in a transitional stage and I'm not used to it. Sooner or later, I'll be able to draw out more information and write in more ways.
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翻訳されやすい、誤訳されにくい文を書くことに慣れないうちはぎこちなくなってしまうのは致し方ないと思う。けど、相手によって発信のやり方を変えることは多かれ少なかれ誰でもやっていること。たとえば地方から東京に出てきたひとが方言を使わないようにして、でも田舎の親と話す時にはバリバリ方言に戻ったり、専門家が同じ分野の人達の集まりで話す時と小学生に自分の専門分野を分かりやすく説明する時とで説明の仕方を変えたり、いろんなひとがいろんな理由で発信のいろんな変え方をしているだろう。

慣れないうちはぎこちなくても、このサイトをそういう様々な使い分けの場面の一つと捉えて、この場で有効な発信を吟味していって使い分けられるようになればそれは武器になるだろうし、このサイトでの発信に限らずふだんの生活でもみんながそうやって少しずつ「相手に通じやすい、誤解されにくいコミュニケーション」を心がけることで、みんなが少しずつ「相手を理解しやすく、相手の発信を誤解しにくく」なる発信を身につけていけるんじゃないかな。最初は不自由に思うかもしれないけど、友達が自分より歩くのが遅かったら、きっとほとんどの人が、相手の手を引っぱって早く歩かせるのではなく、自分が歩調を合わせてゆっくり歩こうとするような、そういう「わざわざ考えなくても自然にするようになる気遣い」になっていくんじゃないかな。

もちろん、上にも書いたように「表現としての文」と「伝達のための文」は違うと思っているし、違ってしかるべきだとも思っている。今回書いたのはあくまで伝達のための文、より円滑なコミュニケーションを目的とした文のことで、創作だったり自己表現だったりのための文には当てはまらないのでそこんとこよろしく。

そしてそして、せせりさんのサービスは現段階では絶賛開発中なので今後どんな機能が付いてどんなふうに発展していつごろ正式版が公開されるのかなどは分からないけれど、多言語? 面白そう、と思った方はリンクしたツイートからせせりさんにコンタクト取ってみてはいかがでしょう。きっととても楽しいよ。

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