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「芥川氏」 斎藤茂吉

※素人が、個人の趣味の範囲で入力したものです。
※一通り見直してはいますが、誤字脱字等の見過ごしがあるかもしれません。悪しからずご容赦ください。


芥川氏 斎藤茂吉

 
 私が長崎に行つてゐた時である。或る日の晝過ぎに縣立病院の精神科部長室にぼんやりしてゐると、そこに芥川龍之介さんと菊池寛さんのお二人がたづねて來られた。これは私にも非常におもひまうけぬ事で、お二人とも文壇の新進としてもはや誰も知らぬものも無いといふ程であつたから、私の助手や看護婦なんかが、物めづらしさうにお二人を盗見したり、私もあわてて紅茶か何かを持つてくることを看護婦に命じたりしたことを今も想起することが出來る。
 何でも少し體に汗のにじむ頃であつたから、長崎の初夏のころではなかつたかと思ふ。これは、菊池氏、芥川氏の日錄に書いてあらうから檢出することが出來ると思ふ。芥川さんは、切支丹物をちよいちよい書かれたので、何とか上人の傳で、その事蹟のことを長崎の歴史家が根掘り葉掘り芥川さんにたづねたことなども今おもひ出すことが出來る。
 その時私ははじめて芥川さんも菊池さんも見たのであつた。一方は痩せ一方は肥つてゐられるので、菊池さんが洋服を著て永見夏汀さんの庭でとつた寫眞を、夏汀さんが笑ひながら見せて吳れたことなどもある。
 お二人は永見さんの家にとまつて居られた。そこで私も支那料理のおしやうばんをしたことがある。その間のことは永見さん自ら委しく書いてゐられるから、私は何も云はない方がよい。ただ永見さん秘蔵の何とかいふ支那人の繪を見てゐた時、『なるほど藝は丹念でなくては駄目ですね』こんなことを芥川さんが云はれた。芥川さんは都會人だからもつと旨い東京辯で云はれたおもへば間違はない。菊池さんは、さふいふ繪を見てもさうたいした意見は云はなかつた。その對象なんかも面白いなどと私等はあとでうはさしたこともある。(談)


底本:斎藤茂吉全集第十巻 随筆四 昭和29年年1月24日第一刷発行
初出:改造社「改造社文學月報」(現代日本文學全集附録)第十三號
   昭和三年一月一日発行 

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