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1大家が泥棒(Ⅱ)

12月24日と言えば世の中はクリスマスイブです。「雨は夜更けすぎに雪へと変わるだろうOHOH!サイレンナ~イホ~リ~ナ~イ」と、定番の山下達郎のクリスマス曲が日本中に流れる中、井上君は神奈川県横浜市からG県M市まで、一人寂しく車を走らせました。寒い寒~い古民家の昭和A棟で、ウィスキーでも飲みながらの一人きりのクリスマスイブ、きらめく街の明かりも憂鬱に見える今年もサイレントナイトのはずでした。井上君が昭和A棟に到着したのは夜中の11時頃になっていました。
「う~、寒い~…。」
M市って、本当に寒いところで住民はコタツに足を入れたまま寝るという習慣があるそうです。約10年間もの温暖な関東の生活に慣れてしまった井上君の身体には、久しぶりのM市の寒さはかなりキツかったそうです。
暖房の効いた車内から出ると、井上君は急いで昭和A棟の鍵を出し、屋内に逃げ込もうとしました。
ところが…
「なに~~~~~っ???」
夜中なのに、思わず大声を上げた井上君。だって、鍵が鍵穴に入らなかったのですから。懐中電灯で照らしてみたら、元の鍵が剥ぎとられた跡がありました。西村いちろうさんからは、鍵をつけかえたなんて聞いていなかった井上君は、大慌てでM警察署に駆け込みました。

すると、まずは普通の警察官のおじさんが話を聞いてくれて、それからスーツ姿の男性が出てきてくれました。この男性がS司法巡査、30代前半くらいに見えたそうです。それで、その警察官が西村いちろうさんに電話をしたところ…。
夜中の12時頃、真っ赤なお顔の~トナカイさんじゃなくて、老人の集団がM警察署に駆け込んできました。おじぃさんが二人。おばぁさんが三人。普通に考えれば加害者ですよね、この方々。ところがすごい剣幕で、口々に怒鳴り散らしたそうです。警察官の人たちには「俺たちは大家だ。」と言って「こいつがずっと家賃を払わないから出て行ってもらおうと思ったんだ!」と言ったそうなのですが、まぁ、そこまではいいとしましょう。その後が支離滅裂でした。昭和A棟の中がネズミの糞尿まみれだったと言うのです。布団も服もネズミの糞尿まみれでネズミにかじられてボロボロだ、家中食べ物を食い散らかしたゴミだらけ、そこにまたネズミの糞尿まみれで、だから片付けてやったんだと…。
井上君は独身ですが、食べ物を家の中に食べ散らかして出て行くほど不潔ではありません。実は井上君は料理が好きで、ちゃんと洗い物もこなします。私は井上君のアパートで手料理を振る舞ってもらったことが何度かありましたので、井上君が見た目と違って綺麗好きな事は知っていました。掃除洗濯もそれなりにこなす、いわゆる「嫁いらず」です。

「何を根拠にそんなウソを言うんだ!」
と、大声で怒鳴り返した井上君に、西村いちろうさんが言った言葉がまた凄かった…
「何偉そうに言ってやがんだ。壁に女の裸のポスターなんか貼ってやがってよ、どうせ女もいねぇんだろ。家賃も払えねぇ貧乏人がよ。おめぇ、あそこでセ○○○○三昧やってたんだろうが!」するともう一人のおじぃさんが大笑いしたんです。「スケベ本もいっぱいあったしな。げへへへ。」他のおばぁさん達もニヤニヤ笑っていました。

ブチッ!
て音がしたでしょうね、多分。井上君の血管のキレる音が。
当然激しい言い合いになりましたけど、Sさん始め、数人の警察官の人達が間に入って止めました。これは当たり前です。止めなければ、殴り合いになっていたでしょうから…。ですが、井上君にとって納得いかなかったのは、S司法巡査が、そのままおじぃさん達を帰してしまった事です。

その理由が、ご老人たちが
「もう弁護士を頼んでありますんで。」
と、言ったからなのです。
私も後になって気がついたのですけど、弁護士がついていたのなら、警察署に本人たちが慌てて来る必要はないですよね。弁護士に対応を任せるでしょう。それでもSさんは、その言葉を鵜呑みにしてしまい、
「それなら、民事事件として互いにやってください。」
と言ったそうです。
いやいや、民事事件ではありません。だって大家とはいえ、勝手に他人の家に侵入して、勝手に他人のモノを処分したと、本人達が言ってるのですから。これは不法侵入事件、窃盗事件です。

当然、井上君は食い下がりましたよ。でも「弁護士」という言葉は最強なのですね。逆に井上君が刑事さんに説教される始末でした。
「あのね、そもそも井上さんね、アナタが家賃を払っていなかったからこう いうことになったんでしょ?」
「いや、刑事さん、それはそれとして、勝手に私のモノ盗られてるんです  よ。刑事事件じゃないですか。捜査してください!」
「だ~か~ら~。相手は弁護士雇ってるって言ってるでしょ!もう、それで 民事事件としてやって く!だ!さ!い!」
ず~っとこれで井上君と刑事さんとで押し問答でした。でも、さすがに刑事さんにも多少の常識はあったらしく、ニヤニヤして見ていたご老人達にも少しばかりのお説教はしたそうです。
「大家さんでも、勝手に入ってモノを持っていくのは犯罪なんですよ、気を つけてくださいね。」
なんて言う程度でした。
何この軽いノリ!犯罪だとわかっている警察官が「気をつけてください?」それなら警察いらないでしょ!

結局、井上君は午前2時くらいに、M警察署から追い出されてしまいました。もちろんご老人達も。すっかり疲れ果てた井上君と対照的に、お年寄りたちは意気揚々として帰って行ったそうです。体力ありますね~w
 
井上君は、帰ると言っても、昭和A棟は鍵を替えられて入れない。M市のような田舎に、真夜中2時過ぎにチェックインできるようなホテルなんかありません。それで仕方なく車中泊となりました。車の中で暖房をかけても寒い寒い!寝ないで走って神奈川まで帰る気力もないし…。
「クソォ…ジジィどもは今頃暖かい布団の中でぬくぬくと寝てやがるんだろ うな…。」
怒りはフツフツとこみ上げるけど、だからと言って湧き上がってくる怒りの熱でも温まらないほどM市は寒い。井上君は車の中で震えながら、朝が来るのを待ったのでした。