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1大家が泥棒(Ⅰ)

平成22年12月31日、大晦日の事でした。翌日の平成23年の元旦は、メールが混雑していてつながらないだろうからと思って、私は友人たちに「来年もよろしくね~」とメールを打っていました。当時はガラケーの時代で、LINEなどもありませんでした。ちょうどお昼ころ、オタ友の井上君から電話がかかってきました。
「もしもーし!!」
相変わらず声がデカい。
「もっし~!元気~?って言うか、お久~!」
「元気じゃねーよー。」
声のデカさは元気ですが?
「何?どしたの?また上司と喧嘩でもしたの?」
「違う、違う!俺、泥棒に入られちゃってさぁ…。」
泥棒?
井上君のアパートに入ったって金目のものなんて何もないけどなぁ…w。
「それはお気の毒、泥棒さんが。お宅から盗るモノなんかないもん、
 無駄働きよねぇ。」
こんな返しをしても、普通の井上君なら「ちげ~ねぇ」なんて笑っている
はずでした。ところがこの時は違っていました。
「いや、冗談じゃなくて!マジ!マジでやられたのよ!」
あれ?オカシイなぁ…井上君、いつもと違って冗談の一つも言いません…。一応、話だけでも聞いてやりますか。年末大サービスだw
「どうしたの?何か盗られた物でもあったの?ガンプラ?マンガ全巻セッ  ト?」
「ここじゃなくてM市の貸家!自作のパソコンとか登山道具とか家具とか  色々盗られてさ!俺、警察にも行ったんだぜ?」
そう言えば、井上君が就職した時、G県M市の支店に配属されたので、古い一軒屋を借りて住んでいた事は聞いていました。この頃の井上君の勤め先は大企業でしたので、支店がいくつもあったのです。私と井上君が知り合ったのは井上君が横浜に異動して来てからでした。私の友人が、井上君の会社に勤めていたので知り合ったのですが、つきあいは短かったものの、ガンダムや仮面ライダーの話で盛り上がったので、仲良くなっていました。
「あれ?こっちに異動になった時に引っ越して来たんじゃないの?」
「いや、あそこはそのままにしてある。」
「ん~、ちょっと待って。その物件に行った時に泥棒が入ったの?」
「じゃなくて、大家だっていうジィさんバァさん達が勝手に入って、
 俺の荷物、全部処分しやがったそうなんだ。そのジジィが電話かけて来た んだよ。」
「ホント?家の中見たの?」
「いや、見てない。鍵を壊されててさ。別の鍵つけやがったんだよ、連中。
 それで中に入れないんだ。」
「って、それ、すでに刑事事件じゃん!」
「そう!トーゼンそう!だから俺、行ってきたんだぜ、M警察署まで!」
「それ、いつの話?」
「24日の夜。」
「24日?何であたしに言わなかったのよ?」
「だって、絶交中だったじゃん、俺たち。」
「…?あれ?そうだっけ…?原因ってナンだっけ?」
「…ナンだっけ…?」
「う~~~ん…。思い出せない~。」
「俺も…。」
「いや、原因なんかいいから、とにかく今から会おうよ!」
 
という訳で、私と井上君はすぐに会う事になりました。近所のマックでw。
「チーズバーガーセット、お願いします。飲み物はミルクで。」
私が注文していた頃、ちょうど井上君もお店に入って来ました。いつもの
ように灰色のジャケットに紺色のジャージパンツ。寒い冬でも角刈りで、
しかもかなりの固太り。丸顔で、目や鼻や口まで丸くて大きい。手足も短くて丸っこい。一緒に歩いても、間違っても「彼氏」とは見られない典型的な非モテ君です。それでも井上君には、いい所はあるんですよ。陽気で愛想はいいし、冗談は通じるし、それから…後は思いつかないから省略w。

その日は大晦日でしたからお店も混雑していて、かなり騒がしく、できる
だけ話がしやすいテーブル席が空くのを待っていました。店内の通路では
人がぶつかり合いながら歩いていましたけど、大柄で黙っていると顔が怖い井上君と一緒にいると誰もぶつかって来ません。こういう時には便利な男です。



ようやく空いた席に座れて、じっくり話を聞いて、やっと状況がわかりました。今では考えられないでしょうけれど、昔は家賃を大家さんに直接、現金で支払う、という賃貸物件があったのですよ。特に田舎では、そういう家賃の払い方が多かったのです。家賃を大家さんに払うと「家賃帳」に大家さんが「何月分」と書いてハンコを押します。これが「家賃帳」です。


家賃帳の表紙


家賃帳 支払ったら大家が印鑑を押します。

井上君が借りていた借家もそういう家賃の払い方でした。ですから当然、
毎月大家さんの家に家賃を持って行っていたのですね。井上君って見た目は怖いけれど、人懐こくておしゃべり好きなので、大家さんとも良く話をしていたそうです。

そこで、井上君の話の内容を箇条書きにしてみますね。

 
井上君の借りている借家について
(古い家なので昭和A棟と呼びましょう。後に建てられたのは大正時代だとわかりましたが、大正A棟だと呼びにくいですから。)
①  とにかく古い。大正時代か昭和初期に建てられたもので最初は芸者さん
 達の待機所(置屋といいます)だった。
②  元々は一軒屋だったが、置屋でなくなった後、持ち主が壁で仕切って
 二つにした。(井上君が借りていた方はA棟、もう一つの方はB棟と
 しましょう。B棟は空き家でした)
③  大家さんが持ち主になったのはA棟、B棟に分かれた後。
④  井上君はB棟の持ち主も大家さんだと思っていた。(後で違うことが
 わかりました)
⑤  家賃は月々3万円。トイレは和式で、屋外にあって通路で家とつながっ
 ている。8畳の和室が二部屋で、玄関に小さな台所がある。
⑥  お風呂がないので、近所の銭湯に行くしかない。
⑦  塀はなく、玄関にポストがついている。
⑧  駅から男性なら徒歩10分。
 
M市は首都圏ではありませんし、この条件で家賃3万円はちょっと高いかも知れませんね。
 
 
大家さんと井上君について
①  大家さんは、ご高齢で子供はいない。名前は東村元男さん。家賃を
 持って行った際、奥様が対応してくれた事が何度かある。
②  東村さんは、昔、質屋を営んでいた。大きな家に住んでいて、裕福な
 暮らしをしていたらしい。
③  井上君がM市から異動する数年ほど前から、家賃を持って行っても誰も
 出て来なくなった。井上君は大家さんがご高齢なので、ご夫婦共に亡く  なったのだろうと思った。
④  その後、誰からも家賃の督促が来なかったので、井上君は「そのうち
 誰かが家賃を請求して来るだろう」と思って放っておいた。
⑤  井上君は横浜市に異動になったが、M市には時々登山に行こうと思い、 その時には昭和A棟に泊まろうと思って、そのままにして置いた。
⑥しかし、井上君は横浜に異動になった後、一度も昭和A棟に行っていな  かった。
⑦ 井上君が借り始めてから、約十数年経っていて、大家さんと連絡が取れ
 なくなってからは少なくとも10年は経っている。つまり約10年以上
  家賃を払っていない。
⑧ 大家さんがご存命の頃、井上君のご両親が登山をしにM市に行った時、
 一度大家さんに挨拶に行ったことがある。
 (井上家はみんな登山愛好家です)
⑨井上君が横浜に異動になった後、井上君のご両親は数回M市に登山に行っ
 た。その際は、安全確認のために昭和A棟内を覗いてみていた。
 (ご両親も昭和A棟の鍵を持っていた)
 
 
泥棒に入られた経緯について
①  昭和A棟の契約者は井上君本人。(当然、契約者である井上君の電話番 号が契約書に書かれています。)保証人は井上君のお父さんで、保証人の 連絡先の電話番号はお母さんの携帯。契約時以来、お母さんも井上君も
 電話番号は変えていない。
②  12月13日、突然井上君のお母さんの携帯(保証人欄に書いた番号) に「西村いちろう」という人から電話がかかって来た。
③  西村いちろうさんによると、西村いちろうさんが井上君の借りている昭 和A棟の「大家」さんで、前日の12日に親戚一同で昭和A棟に入って、 家の中の物品のほとんどを処分したとのこと。
④  そして西村さんは井上君のお母さんに井上君の悪口を並べ立てたそうで す。部屋にヌードポスターが貼ってあったり、青年用雑誌があったそうで 「おめぇんとこのスケベ息子、どうせ結婚もできねぇんだろうが!(まぁ 当たってますが)」とか「家賃も払えねぇ貧乏人が!(これは井上君のズ ボラな性格のせいです。井上君はともかく井上君のご実家は、とても裕福 です。)「おめぇの躾がなってねぇから、そんな出来損ないができるん  だ!」と会ったこともない井上君のことで怒鳴り散らしたそうです。お母 さんは、茫然自失になったそうです。これには私も腹が立ちました。井上 君は、確かに独身ですが、母親に息子の人格を貶める言葉を投げつけるな んてとんでもない!それに、電話するなら最初に契約者である井上君本人 にするべきです。電話番号は契約時から変わっていないのですから。
⑤  西村いちろうさんは、井上君のお母さんにさんざん言いたい放題言っ  て、「あんたの息子に俺に電話するように言っておけ」と言って、自分の 電話番号を伝えて電話を切った。
⑥  井上君のお母さんは、その夜、お父さんにその話をして、翌日お父さん が井上君本人に連絡をした。
 
 
という流れなのですが、井上君がブチ切れたのは言うまでもありません。
西村いちろうさんが本当に大家さんであっても、家賃がほしいなら、まずは契約者である井上君に請求しなければなりませんよね。最初に電話をしたり、請求書を送ったり、内容証明郵便を送ったりするのが普通です。それでも家賃を払わないなら保証人に請求し、それでも払ってもらえなければ裁判です。家賃を払わないからと言って、勝手に貸した物件の中に入ったら不法侵入ですし、ましてや勝手に家屋内の賃借人の持ち物を処分、つまり勝手に持ち出したというなら単なる窃盗事件です。このくらいは説明不要、常識ですよね。
 
しかし、なぜ西村いちろうさんが、会ったこともない井上君の悪口を、
本人ではなくお母さんに並べ立てたのかサッパリわかりません。井上君は、
大家さんから「西村いちろう」という人の話など聞いていませんでしたし、
西村さんが大家さんの相続人であったとしても、いきなり人格について云々言われる筋合いはありません。
さらには、立ち退きしてほしいから、家屋の中の物を持ち出して処分したと
言う事も不思議です。立ち退き作業なら契約者本人にやらせますよね。家屋内の荷物、つまり他人の動産を持ち出して処分してから連絡してくる、という理由もサッパリわかりません。さらには本当に「処分」したのかもわかりません。
 
 
「それで?いのっち、その『西村いちろう』さんに電話したの?」
(私は井上君を「いのっち」と呼んでいました。)
2個目のハンバーガーを食べ終わって、ポテトに手を出しながら、井上君はニヤリとしました。元がブサいんだから、そういう顔するなよ…まんま悪党面だからw
「したよ。」
ここまで「口角泡を飛ばす」いえ、バーガーソースを飛ばしそうな勢いで
話していた井上君が、イキナリ落ち着いた雰囲気になりました。
「何?何か言ってやったとか?」
井上君に出来るとしたら、この程度ですからw。
「いや。」
何だか偉そうなこの態度。言い負かしたか?
「実はさ…」
もったいぶるな。
「西村いちろうな、電話をかけてきたジジィ。コイツの住所、俺知らないじゃん。それでさ…」
聞いて殴り込みに行ったか?
「下手に出てやったのよ。」
「…」
誰が信じるか、という私の表情をしっかり読み取った井上君。
「いや、本当だって!丁寧に『お手紙を送りますから』って言ってジジィの 住所を聞き出したんだよ。ほら、これ。」
見せられた紙切れには確かにG県T市の住所が書いてあります。
「うん、まぁ住所はわからないとね。で?」
「内容証明送ってやったのよ。」
「はぁ?」

内容証明については皆さんご存知だと思います。公的に記録が残る「お手紙」です。法的に何らかの効力はありませんが、郵便局に「こういう内容の手紙を、確かに何年何月何日に誰々に送りました」と記録されます。この記録があれば、裁判となった場合に、「あらかじめ、こういう請求をしました、あるいは、『こういう事はしないでください』等の連絡はしました」と主張できます。同時に「配達証明」もつけてもらうのが一般的ですね。これは、相手方が「何年何月何日に相手が内容証明郵便を受け取ったか」証明となるハガキが、自分に送られてきます。

井上君が内容証明郵便について知っていたのは、不動産屋勤めだった私のせい…いえ、お陰なのですが、
「それ、何書いたのよ!!」
脅すような事など、変な事を書くと自滅するので注意が必要です。元々鬼顔の私が、文字通りの鬼の形相になったので、井上君の顔がちょっとひきつりました。
「いや~、あのさぁ~…」
「うん?」
「出て行けって言われたから…引っ越し代…請求しますた…それだけっす…」
「あっそう。」
それならば問題ナシです。
「で、金額は?」
「380万円。」
井上君は、悔しいので「西村いちろう」さんが真っ青になるような事をしてやりたかっただけだったそうです。実際に、内容証明郵便を知らない人が、初めて送られたら裁判所から送られたと勘違いしてしまう事がよくあるそうです。それでショックを受けて、「お金を払え」という内容が書いてあったら払ってしまう人もいるので、内容証明郵便を使った詐欺もあったそうですよ。以前、私が井上君にこんな話をしていたので、それを覚えていたのでしょうね。
「あはは、ふっかけたねぇ。まぁ別に請求するだけなら勝手だけどさ。何日 に送ったの?」
「12月20日。」
「じゃあ、M警察署に行った24日より前に届いたはずだよね。」
「だね。」
「で、24日までに何か連絡はなかったの?」
「な~んもなかった。」
「へぇ~…」
見知らぬ女性(井上君のお母さん)に、いきなり電話をかけて怒鳴りつけるような人ですから、かなり沸点が低いはずです。このような高額請求を送りつけられて、キレない方がおかしいですねぇ…。こういう人物なら、また電話してきて怒鳴り散らすと思うのですが。
 
そして、井上君は12月24日に、G県M市の借家、昭和A棟を見に行ったのです。