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誰も読まない日記

文章がうまくなりたいと、ずっと思っていた。

本を読むのは好きだった。中学のときから本屋をうろついては文庫本をあさり、好きな小説家を見つけては過去作を遡って読み、古本屋の存在を知ってからはいくつか行きつけを作り、母の車で連れ出してもらっては蔵書を増やした。進学、就職、転職、出産、復職を経てもなお、本はずっと私のそばにあり、キャリアや生活を支える存在だった。

でも、書く、という行為が苦手だった。いや、好きだったのだけれども、上手くない自分の文章に幻滅し、ただただ長い時間をかけて紡ぎ出す言葉の凡庸さに呆れ、仕方なく締切に提出をしていただけ。仕事で出す営業用のメールマガジン、頼まれたわけではないのにキャリアのためと称して書く文章。好きな本を挙げて書いて良いという環境に恵まれた書評の仕事も、「私なんかが良いのだろうか。。。」という思いから本当に気に入った本は選べず、かといって専門から外れたものを書くわけにもいかず、なんとも「申し訳ない」という気持ちで書いたものばかり。

それでも、なぜかはわからないが、私は文章が書きたい。思ったこと、相手と語り合ったこと、はっとしたこと、言葉に残していきたい。ずっと好きだったことを、ただ苦手だから、下手だから、と言い訳をして目を背けていたくない。

誰のためか、と聞かれると言葉に詰まる。すべて自分のためだから。

比喩の的確さ、ユーモア、新鮮な着眼点のみずみずしさ。どれも上手いなぁと思う人の文章からもらえるものばかりだけど、本当は自分でも生み出してみたい。

頭の中にある、この感情を言葉にすることで世界を広げたい。

誰も読まなくてもいい。今は。

ただ自分のために書き残していこう。

訓練を怠っていたのだな。寝っ転がって楽をしながら、ただ欲しい欲しいと願っているだけでは、何も手に入らないもんな。

毎日。は難しいかもしれないけれど。ちゃんと残していこう。

いま、混沌とした2020年を生きている証として。

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