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鍼灸師の月曜日

今日も今日とて往診に。
日曜日が終わって 次女を保育園に送り出し
いつもの日常に戻る。
月曜日は母方の祖母の往診の日だ。

かれこれ、10年にはなるだろうか。
紆余曲折あり、最近のルンティーンは
朝いって、お茶を一緒にのみ
お散歩をして
施術。
そのあと、叔母が作っていくお昼ご飯を温め、
祖母と一緒に食べる。
片付けをして 次の往診先に向かう。

この仕事の良いところは仕事をしつつ
祖母のケアが出来ることだ。と思っている。
勤めていたら、こんな風に祖母とお散歩したりご飯を一緒に食べたりはできなかっただろう。

齢97歳の祖母はほとんど、耳が聞こえないため
祖母とのコミニュケーションは筆談だ。
認知症はそれほど、進んでないため
受け答えはハッキリとしている。

祖母は戦後すぐに20歳で隣の市からお嫁にきた。トラックの荷台に乗って嫁入り道具と共にお嫁に来たと聞いている。
 おじいちゃんは三男坊で長男は病気で亡くなり
次男は戦争で亡くなったため 次男のお嫁さんと結婚するはずだったらしい。
おじいちゃんはそれが嫌でおばあちゃんと結婚したとのこと。

おばあちゃんは今はだいぶ丸くなったが
割と気が強いほうで
おじいちゃんとよく喧嘩していた。
でも、若い頃は車に飛び込んで死んでしまおうかと思ったことが何度もあったらしい。
そんなことを、私が辛い時に涙ぐみながら話してくれたことがある。

私には想像もつかないくらい昔のお嫁さんは大変だったのだ。

子供を産んでからは 田んぼ仕事の合間に
自転車を走らせて(たぶん10キロくらい離れている)母乳をあげに帰ってくる。
子供はお腹を空かせて 涙のあとがあった。

実家に帰る時も片道のバス代しかもらえず
帰りは両親にもらって帰ってきた。

そんな おばあちゃんも今は 子供のように
屈託なく笑う時がある。
年をとると子供に戻ると言うが本当だなと思う。
若い頃が大変だった分、今を平穏に楽しく暮らしてほしいと切に思う。

おばあちゃんは
孫達にも平等で優しく、わけへだてがない。

孫は11人
ひ孫は17人になった。

あと何年 桜を一緒に見に行けるだろう。
100歳になっても見に行きたいと思うのは
私のエゴだろうか。

たぶん、100歳で亡くなっても笑って看をくる自信はない。

そんなことをたまに考える。

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