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指差しと共感

一年以上前のことだ。
次女の1歳児検診があった。
1歳児検診では 子供が成長できてるか
いろいろ試される。
できなければ、自分の子育ての仕方が間違ってと言われてるような気がするし
出来てれば 自分の子育てを肯定してもらってるような気がする。
お母さん達にとっても 
ドキドキの試験のような時間だ。


検診をやる公民館にはいった瞬間 
泣き叫ぶ子供達。
じっとしてるのも 大変な1歳児。

次女も たじたじで私にしがみついている。
後ろの子をじっと見て にっこり。

少しするとまわりをキョロキョロしながら
歩き出す。

最初に保健師に呼ばれて
成長の過程で不安なことなど話し
その後、積み木をつんだり 指差しをする。
次女はなかなか、積み木をつまず
どうぞとばかりに 積み木を私に差し出す。
私もりっかに差し出すのを何回か繰り返して
どうにか 積み木をクリアした。

そのあと、犬や猫や車など書いてある絵をみて
ワンワンどこ?など聞いたものにたいして指を指す。指差し。
何回かやっても、次女はできず。
要観察となった。

家に帰って不安に思い調べてみると
指差しには5段階の発達があるらしい。

①指差しの始まり。
 〜だよ。と言われて指を差した方向をみる。

第一段階はクリア!

②自発の指差し
見つけたものをあっ!といって指を差す。

これも次女はできる。

③要求の指差し
自分の欲しいものをしきりに差す。

これも、OK!

④叙述の指差し
何かを見つけた時にあっといいながら
指を差し 母親を振り返る。

この辺から怪しい。何かをみつけた時に指はさすが 母親を振り返らないような気がする。

④ 応答の指差し
〜はどれ?と聞くと指差して教える。
自分の鼻など見えなくても指がさせる。

これは、ほとんどできない。


発達というものは、階段になっていて
とびこすことはでなきない。
どこかで つまずきがあれば そこをしっかり
認識していくことが大事であると
何かの本で読んだことがある。

たとえば、1.2.3と数を数えられても
1の次が2になることも教えないと
数を上手く数えることができないのだ。

次女の場合は④叙述の指差しの概念がまだ
未発達なのかもしれないと推測される。

二項関係と三項関係


指差しのことをいろいろ、調べていくうちに
二項関係と三項関係の大切さに気づき始める。

二項関係とは、親や特定の人物と自分との関係を現し。
三項関係とは親や特定の人物+物などの関係を現す。

次女はどうだろうか?
次女をよく観察していると 自分の要求を示すことはよくすることに気づく。
あれが、食べたい。
あれが欲しいなど。
指をさす、もしくは 私の手を食べたいものに持っていく。
ただ、美味しいとか嬉しいとか 共有することを求めていないような気がする。

二項関係の未発達さを感じた。

まず、何をしようか考えてみたり 調べてみた結果。
①次女が見ている もしくはやっていることを
言葉で現す。
②次女の思っていることを代弁して言葉で現す。

共感してもらうことを気持ちいいと思うと
自分も誰かに共感してあげたいと思うらしいので
とにかく次女に寄り添って 次女の気持ちを
代弁してあげたいと思う。

お風呂上がり 
タオルにイチゴが書いてあって
イチゴどれかな?と質問したら
イチゴを指差し出来ました!
みかんはできなかった。

一日一歩。

親は他の子と比べて出来ないこと 発達が遅れていることをどうしても、気に病んでしまう時がある。
気に病むのはしかたい。
子供と向き合い なぜ出来ないか分析してサポートする。少し、気持ちを楽に持って 時間をかけてあげる気持ちを大切にしたいと思う。

次女の人生は始まったばかり。
次女の育児も始まったばかり。

焦らず、少しづつ。
せっかくの育児を楽しもう!




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