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母という病

子どもが生まれて、自分の母のエピソードを重ねる瞬間が多い。

私の母は、クセが強い。

仕事をしながらワンオペ(父は一切の家事をしない昭和の男)で、義理両親の自宅介護を10年し、出戻りの義理姉のサポート、三姉妹の子どものお受験を成功させ、趣味が高じて会社を立ち上げ今や地元でも有名なオーナーである。

なんでもがむしゃらな母は、いつも全力投球なのである。私が学校でいじめられたと帰ってきたら、言い終わる前に相手の家に乗り込む。近所のコンビニにヤンキーが溜まれば仲良くなって、更生させちゃう。姉の国試の日は、お百度参りの最中に階段を踏み外して血だらけで帰ってきた。

ある日、娘が泣きながら帰ってきた。

私は状況を聞き、すぐに自転車に乗って学校に行った。結局、話し合いをしてすぐ解決できたのだが、帰って手を洗うついでにふと鏡を見たら、カーディガンのタグが見えてた。わが子のことだと冷静でいられないのは濃い母親の血だわ。と笑いがこみあげた。

毛玉だらけのニットに、1万2千円で買った隅がはがれた合皮のバックを抱えて子どもの冬期講習に20万振り込むのが母である。

10年選手のユニクロのフリースを羽織りながら子どもの習うバイオリンを付き添い、いい音を求めて7万のバイオリンじゃなく、20万のバイオリンを無理して買うのが母である。

カッコつけないで、子どものためにがむしゃらになれるのが母である。

少女のころ、有名なバレエ団でバレエを習っていた。保護者はみんな専業主婦のお母さま方。私の母は働いていたから、レッスン見学に事務の制服で来る。しかも、レッスン中に大きな声で私の名前を呼ぶし、先生になにか仰々しい贈り物をする。恥ずかしくて「来ないでほしい」と言ってから、一度も見に来たことはなかった。最後の見学の時、スリッパをはいていない母のストッキングが伝線していたのを生々しく覚えている。

今子どもが4人いて、子どもたちの自慢のお母さんにはなれてはいないけれど、がむしゃらに愛情だけは送り続けている。たぶんウンザリする場面もたくさんあると思う。私が死んだとき、私の「爆裂、お母さん劇場」をみんなで思い出し、大爆笑してくれていたら本望だし、成仏できるよな。なんて思っちゃう。

そういえば、母もよく笑わせてくれた。全力でくだらないことをする。突然のガチめの腹踊りとか。小学生にあわせた下ネタとか。毎日笑い過ぎて、帰宅部なのにシックスパックの小学生だったよ。




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