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消えないひ

どうも、凌です。

早いもので、もうすぐお盆休みです。
五山の送り火も近いですね。

近年全然見れてなかったので、
今年はちょっと御先祖さんを直接見送ろうと思います。

てなわけで、こんな時期ですが、
亡くなった祖父との思い出を
つらつら書いてみようと思います。

祖父は亡くなる時までずっと、
僕のことを「小さな孫」
として見てくれていました。

小学生の時は、遊びに行くたびに
必ずポテチを持っていかせ、

家には常にポテチのストックを貯め、
ソファのクッションの下には
僕が大好きだったデュエル・マスターズの
カードパックを忍ばせ、

僕の帰りが遅いと、家の前どころか
少し歩いた通りまで出てきて
待ってたり、

めちゃめちゃお節介で頑固な人でした。

すごいクレーマー気質やし、
帰り遅かったら普通にめっちゃ怒るし。

僕が実家で暮らしていた時は
ずっと祖父が夕飯を作っていました。

料理はすごい上手くて、
今考えるとおじいちゃんでバリバリ
料理作ってたのって珍しいなぁって思います。

祖母は僕が生まれた時からいなかったけど、
ちゃんと理由を聞いたことがありません。

いつか聞いたほうがいいのかな?

小さい頃から小学生まで、
実家の車はトヨタのノアでした。
今でも思い入れの強い車です。

小学生の頃、スイミングスクールに通っていたのですが、
大雨の時は普段運転をしない祖父に
車で送ってもらってました。

そして、いつの間にか車に乗らなくなった祖父でしたが、
当時はどういう気持ちで送ってたんだろうって思います。

そんな祖父ですが、
実家のリビングには今でも数えきれないほどの賞状と、
何年物なのかわからない酒瓶が置いてあります。

祖父は小学校を卒業してから映画の世界で
働きはじめたみたいですが、今では
考えられないですね。

祖父の昔話を聞くのは好きでしたが、
仕事の内容を聞いたことはほとんどありません。

名前と顔ぐらいは知っている俳優女優さんが
鍋を囲んで実家のリビングで寛いでいたと思うと…
って考えたけど、別にそんなにかって感じでした。笑

祖父が亡くなる直前に、父とお見舞いに
行ったのですが、その時のことを
はっきり覚えています。

「はやく帰れ。もう来なくていいから。」
たしかこんなニュアンスでした。
でも、全く悲しくありませんでした。

亡くなった人を思い出すことって
たまにあると思うんですけど、
絶対に元気な姿を思い出すほうがよくないですか?

幸いなことに、この出来事以来、
お見舞いに行くことはなかったので、
祖父の元気な姿しか、ほぼ記憶にありません。

祖父も、自分が弱っている姿を孫に
見られることは避けたかったのでしょう。
それぐらいは、18歳の僕でも分かりました。

危篤の電話が入った時も、
死に目であろう祖父に会いに行くことは断りました。
母親もその判断は委ねてくれたので、
すごく感謝しています。

亡くなった後に、ようやく祖父が
培ってきた照明技師としての功績に触れるのですが、
今後、どういった形で遺していこうか考えています。

紙とかガラスって保管方法誤ると
すぐダメになっちゃいそうなので。

また盆に実家に帰るので、
いい機会ということで遺品にも
触れてみようかと思います。

父からは
「ようやくその価値に気づいたか」って
言われました。

いや、小さい頃に教えてくれよ。
って感じです。

そんな祖父の頑固なところは
反面教師として、
お節介なところは引き継いで、
今後も名を背負って
生きていくつもりです。

おしまい。


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