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コロナで思うこと2 「外出とリスク」

◎外出しない理由

前回のnoteで書いたように、スーパーに行く等の必要な外出以外はしていない。
その理由は、「国から要請されているから」というものではない。
わたしが外出を自粛しようとここまで思っているわけを、今回のnoteでもう一度整理してみようと思う。

1つ目の理由は、自分がコロナに感染する確率を可能な限り下げたいからである。
各国の状況を見ていると、自分はまだ20代だから重症化することはない、死にいたることはないとは言えないと思うし、分からない部分が多いコロナを怖いと思ってしまう。
それに、今は実家で暮らしている以上、わたしが感染してしまうと家族も危なくなるし、家族にうつらなくても、彼らの仕事に支障がきたされてしまうのは間違いない。
だから、本当にできる限りの注意を払って自身が感染しないようにと思っていて、その心がけのひとつが外出をしないことである。

2つ目の理由は、自分がコロナに感染していた場合に誰かにうつしてしまうことは避けたいからである。
自分は無症状のままで誰かにコロナ菌を渡してしまうことに対して、正直、わたしはとてもびびっている。
無自覚のままコロナ菌を誰かに渡してしまい、その菌で、誰かが死んでしまうことも十分にあり得ると思っている。
無自覚のまま誰かを殺してしまう可能性が0では無いことを思うと、怖くてなかなか外出することができないでいる。

3つ目の理由は、「わたしぐらい」「ちょっとぐらい」なんて思いたくないからである。
この「コロナと共生していく時代」が始まっている今、ひとりひとりの行動や選択はすごく意味を持つし、すごく重たいと思っている。
その重たさは、前回のnoteで書いた命の選別(感染拡大を防ぐのか、経済をとめないのか)のような重みでもあり、自分がこの社会の一員であるという重みでもあると思っている。
自身の行動にそのような重みがあると自覚しながら、「わたしぐらいちょっと出かけても大丈夫」なんて無責任なことは思いたくはないし、思う気にもならない。
それに、たったひとりの(自分の)行動に意味を持つことができるのは、はなんだか嬉しいことだとも思う。

◎代わりにリスクを背負わせて

わたしが外出しない理由について3つ書いたけれど、「外出しない!」と自分で決めることができ、スーパー以外の外出をしないで済んでいるのは、毎日父と母が外に働きに出て行っているからである。
緊急事態宣言を受けて父はやっと明日から在宅になったけれど、母は明日からも働きに出て行く。
わたしには、ただただ見送ること、どうかコロナにかかりませんようにと無事を祈ることしかできない。
自分の代わりに、自分がコロナに感染して死ぬかもしれないリスクや、コロナの媒介者となり誰かを殺してしまうかもしれないリスクを、2人に背負わせていることを思うと、わたしは何をしているのだろうと、自分の無力さに愕然とする。
だけど、愕然としていては何も始まらないから、なんとか2人のために自分ができることを必死で見つけようとしている。

そして、自分が外出をしないという選択をしている代わりにリスクを背負わせているのは、父と母だけではないとも思っている。
スーパーや薬局など、緊急事態宣言が出ても開いているお店はあって、店頭に立っている人たちはいる。
お店以外でも、母のように、本当にぎりぎりまで出社しないといけない人たちも少なくないように思う。
自分の足で外に出かける機会を減らしても生きていけるのは、配達業や輸送業の人たちが運んでくれているからだということも忘れたくない。
それに、自分がコロナに感染するかもしれない(もうしているかもしれない)という恐怖もあるだろうに、現場で対応にあたっている医療に従事している方々の責任感やプライドは、本当に本当に尊敬するし、医療従事者の方々には感謝の念が溢れる。
改めて、自分の暮らしはいろんな人たちに命懸けで支えられているのだと思うし、わたしも家でできる最大限のことをしたい、しなくては、と気が引き締まる。

外出せずにできることは限られている。
限られているけれど、0では無い。
限られていることを自覚し恥じらいながらも、どれだけ小さいことでも丁寧に着実に、できることを日々積み重ねていくしかない。


写真:2020年4月4日 @近所の道端
スーパーの行きに見つけたお花。花壇から溢れ出るピンク色と、そのお花の生命力に元気をもらった。


(おわり)

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