本当の、素の私?

小さいころから、人からどう思われるかどう見られるかを気にしていた私。褒められると、ますますそうあらねば、と考えてしまって「良く思われたい」「すごいと言われると嬉しい」という思いが強かった。
幼い私にもし声をかけられるとしたら、「どう?本当はどうしたいの?」って言ってあげたい。自分が本当に思ったことを言えなかったり言わなかったりしていた。多分。それが当たり前になって疑問にも思っていなかったけれど。還暦まであと数年の今になって本当の素の私はどんな人間なんだろうって考える。

父が昭和45年に外科医院を開業、私は5歳。
開業した医院には入院設備があり、厨房には入院食を作るおばさんがいて、同じ建物の中に看護師さん(正確には看護師の卵)が住み込んでいた。
医師会の看護専門学校に通いながら勉強するお姉さんたち。月・水・金に学校に行く1年生と火・木・土に学校に行く2年生。卒業したらまた新しい学生さんが入居し、多い時は4~5人が入れ代わり立ち代わり。
学校から帰ると 家族より先に厨房のおばさんに「ただいま」と言いながら、忙しそうに働く看護師さんに挨拶しながら、3階の自宅まで階段を上がる。

夜8時に、当直の看護師さんが入院患者さんの報告に来る。
「202ごうしつやまださん、けつあつ120の75ぷるす60,たいおん36ど3ぶ・・・」入院患者さんの体調、呪文のような早口の報告を聞いて父が返事し、必要なら何か指示を出す、そういう儀式めいたことも毎晩あるから、子どもの私も風呂上りでパジャマを着ていても神妙な顔。
何か素でいることは許されないと思い込んでいた。

年子の妹と4つ違いの弟がいて、妹弟といるときはいつも「姉」でなくてはいけなかったし、来訪者や看護師さんの前では「院長の娘」であることを求められているような気がして(誰に言われたわけでもなかったのに)…今思うと 先回りして相手の欲しい答えを出すような、変に大人びたところがあった。
頑張り過ぎていたかもな…子供らしいわがまま、言わなかったな。本当にしたい事って実は何だったんだろう?そのとき何を考えていたか、何をしたかったのかも思い出せないし、本当の私、素の私がわからない。
小学生の私は若白髪のごま塩頭。そしてほとんど毎日おねしょ。神経質に相手の顔色を見て自分の言動を変えていたんじゃないか、ストレスがあったんじゃないか…自覚がないままに。
素の私。私はどこ?見つかったら抱きしめてあげたい。

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