12/25 きっと君は来ない一人きりのクリスマス

クリスマス当日.
町は色めき,その盛況も最高に達しようとするとき
男はただ一人,ベッドの上で寝ていた.
厳密にいうと一人ではなく,愛犬と共に寝ていたが
このクリスマスという最高の舞台の上では誤差にすぎないだろう.

男はただスマホの小さな画面を眺めることしかしない.
朝10時を過ぎてやっと目を覚ましたかと思えば,そこから12時になるまで
ただひたすらにTwitterとInstagramとネットをローテーションしていた.
別にクリスマスだからSNSで他人の幸せを見たいという感情は毛頭なかった.
ただ,今という時間を有益に使う気力がなく過ぎ去ることを待っているだけだ.
この男は生きているが死んでいる.
人の生の条件は何だろうか.
心臓が動いていることか?脳が動いていることか?
医療が進化していく中で,何かが動かなくなっても人が死ぬことはなくなってきている.
生と死に明確な違いなどはなくなっているのかもしれない.
しかし私は考える.人は意思がなくなった時に死ぬのではないかと.
私たちは死した時,死体になり,それはただの物になる.
生物とこの物を比較した時この違いは意思の有無ではないだろうか.
私たちは死するとき,その意思をどこかに失う.
体という物から離れた単一の意思はどこか遠くへ消えていく.
別に幽霊や魂を信じているというつもりもないし,かといってそれを否定する気もさらさらないが
私はこの意思が飛んだ時,それは物になり死するのではないかと思う.

では,意思もなく自身の母指のみを動かすこの男は生きているのであろうか.
棺桶に入ることも許されず,ただ生のみを残して時を待つこの物に等しい男に生きているという烙印を押すことができるであろうか.
私はこの意思なき男に死という表現を与えることを厭わない.

時計の長針と短針が最も高いところで重なった時
男に意思が芽生えた.
そろそろ昼ご飯でも食べようかと.
石のように重いただの死体であった男の体は
意思が宿りゆっくりとその体を持ち上げる.

怠惰だ.
この男はあまりにも怠惰な男だ.
折角体を持ち上げることができたのに
作り置きのカレーを温めて食べたのち,食器を洗いもせずに
ソファの上で眠りに落ちた.
男の口角には赤茶けたカレーの汚れが残っている.
しかしそんなことも関係なくこの怠惰な男は
満腹から生まれる心地よい睡眠の欲望にひきつけられていった.

怠惰な男は夢の中でこういった.
「今日はクリスマスだ.怠惰な僕にサンタは眠りを与えてくれた」

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