流れる星はかすかに消える
離れて暮らす母親がウイルスに感染したと連絡が来た。
父親は陰性らしい。
母親は隔離生活を余儀なくされて、部屋に10日ほど篭り切りだそう。
母親は極度のお節介焼きで責任感も強くて、今頃は暗い部屋の中で横たわりながら仕事を休んでしまうことによる職場の方々への罪悪感、家事をすることができなくなってしまった父親への申し訳なさ(父親は家事をやらない、少しはやれよと思う)に押し潰されてるんじゃないだろうかと容易に想像がつく。
罪滅ぼし的に何かをしてあげたくても人と接触ができない訳だから、やるせなさを痛感してるんじゃないだろうかということも容易に想像がつく。
そして罪悪感や申し訳なさ、やるせなさのその先にある計り知れない退屈に殺されてしまうんじゃないかと、そこまで想像がついてしまって何だか無性に心配になってしまった。このお節介焼きな自分の性格も母親譲りなのだろう。
心配になった自分は、何の前触れもなくさっきNetflixとAmazonプライムへのログイン方法をLINEで教えてみた。何もすることがないなら映画でも観ろという無言のメッセージ。
手当たり次第にいくつか自分の好きな映画のタイトルを教えた。
母親は俺の趣味趣向をほとんど知らないと思う。音楽が好きでよくライブに行ってるということくらいは知ってても、どのアーティストが好きなのかまでは知らないはず。好みの映画や漫画もおそらく全く知らない。なぜなら思春期以降ほとんど口を開かない息子になってしまったから。バレてるのは、ライオンズファンなこととリトルトゥースなことくらいかな。
何となく母親にかっこつけるようになってしまってから、人間性や性格がモロに表れる映画や漫画はあまり大っぴらにはしてこなかったけど、遠く離れて暮らすことによって不思議と恥じらいのようなものもすっかり消えて、素直でいれるようになった気がする。だから自分の好きな映画を母親にこの歳になって初めて伝えることができた。
当然世代も違うわけだから、自分の薦めた映画が母親の琴線に触れるかどうかは分からない。
でももし本当に血が繋がってる親子なのだとすれば、きっと好きになってくれるだろうと妙に確信じみてもいる。
今後久しぶりに実家に帰ることになればおそらくほとんどの確率で教えてくれた映画良かったよと、感想を共有したがるだろう。
でも母親と顔を合わせて好きなものを共有するのは、何か違う気がして恥ずかしくなると思う。このめんどくさいねじ曲がった性格は父親譲りな部分。
おすすめした映画の中に勝手にふるえてろとか入れちゃってるけど大丈夫かな、まあでも多分大丈夫だろう。
なぜなら子どもの頃、父親がしょっちゅう流してて嫌で仕方なかった吉田拓郎を今となっては好んで何曲も聴いてるのだから。
間違いなく血は受け継いでるのだから。
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