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『ファウダ-報復の連鎖-』シーズン1の1~3話感想

アラブ人にも大人気!? 
Netfilixのイスラエルドラマ『ファウダ-報復の連鎖-』

アラブ人の友達から面白いよと言ってオススメされたのが、なんとイスラエルドラマ『ファウダ-報復の連鎖』でした。

イスラエル諜報局VSパレスチナ人テロリストのお話。イスラエルのドラマなのだから、イスラエル側からの視点からイスラエルが正義として描かれているのでは?と思って見始めると、、、そうでもなさそう!

1話目を見ただけでわかります。イスラエルが正義として描かれている訳ではないと。むしろ、1話目に関して言えば、イスラエル側の人物の身勝手な行動により不必要な犠牲(パレスチナ人の死)を出してしまっていることが描かれています。

シーズン1に関して言えば、イスラエル側とパレスチナ側の視点が相対的に描かれており、どちらが正義なのかわからない。どちら側にも攻撃の理由がある。ただただ相手側の行為に対しての報復が行われ、それが終わることなく連鎖していく。「ファウダ」とはアラビア語で「混乱、カオス、無秩序」といった意味ですが、まさにその「ファウダ」な状況が続いていくわけです。

ただ、視点が相対化しているとは言ったものの、やはりイスラエルドラマな訳ですから、多少イスラエル側が”カッコよく”描かれているという印象はあります。アラビア語を堪能に扱うイスラエル人が、現実離れした超ハイテクな機器を使いながら、作戦を進めていく訳ですから、”イスラエルすごい”みたいな印象を出そうとしている雰囲気はあります。

しかし、イスラエル側の行為が正しいかどうかには疑問符がつくように描かれており、パレスチナ側の攻撃の理由も納得できるように描かれているので、そう言った意味である程度は”視点が相対化”されているのでは?と感じました。よってアラブ人であっても”面白い”と感じる人がいるのではないでしょうか。

主人公ドロンがなぜか魅力的

イスラエル諜報部員の一人である主人公ドロンは、いわゆるハリウッド的スパイ映画の主人公にあるようなかっこよさではないように思えます。イーサン・ハントやジェームズ・ボンド的なかっこよさではなく、もっと男臭く、スパイなのに感情的になって我を忘れて行動してしまうこともある、人間味が感じられる人物として描かれています。

例えば、彼のトレーニングシーン。無音の中で、ひとり体を鍛え、ときに感情的にサンドバックを打つ。ぶどう園の真ん中で、銃を打つシュミレーションをカチャカチャと手から血が出るまで何度もおこなう。このときもバックミュージックは流れません。彼の汗が匂ってきそうなこういったシーンから、パレスチナ側のテロリストのリーダーである”パンサー”をなんとしても仕留めたいという彼の執念が伝わってきます。

一方で、そのパレスチナ側テロリストリーダーの”パンサー”は人間味の無い冷酷なカリスマ的リーダーとして描かれています。

彼の弟であるバシールがイスラエルによって殺されたということを聞いたとき、”パンサー”は数秒悲しんだあと、すぐに「バシールが殉教したのは喜ばしいことじゃないのか?」と発言。またその弟の死に対する報復は「明日攻撃を実行しろ」と即決するというその徹底ぶりを見せています。

またそんな”パンサー”の部下であるワリードは、テロリストとしての未熟さはありながらも、野心と残酷さを感じさせるその目つきはかなり印象的で、なんならリーダーである”パンサー”よりも存在感をはなっています。

自ら戦場に立つ女性たち

3話目では、イスラエル側パレスチナ側の両陣営において現場の最前線に立つ女性たちの”活躍”にスポットが当たります。

イスラエル側ではヌリエットが、自ら進んで現場で作戦を実行することを志願します。2話目でも彼女は現場で戦えるということを示すため、ジムでトレーニングをしていました。

またパレスチナ側では、夫のバシールを殺されたアマルが自ら「復讐がしたい」、「殉教者になりたい」と名乗りをあげます。

3話目の終盤、両陣営の女性たちが作戦を実行するシーンは対照的に描かれ、どちらもかなりハラハラする場面となっております。

語られぬ大前提

このドラマでは、イスラエル側とパレスチナ側の復讐の連鎖が描かれていきますが、そもそもの復讐の連鎖のスタート地点が描かれません。

このドラマの始まりは、「”パンサー”と呼ばれるイスラエル人を116人も殺害したテロリストがいる。イスラエルは彼を数ヶ月前に殺害したと思っていたが実は生きていた!殺さなければ!」というところから始まります。

しかし、なぜ”パンサー”が116人も殺したのかという理由はドラマの中で深掘りされません。いわば、「イスラエルとパレスチナの間には軋轢があるのは当たり前で、それがいちいち何かは言わないけど、とにかくパレスチナ側に凶悪なテロリストがいるんだ」という前提でこのドラマはスタートするのです。

そもそもなぜ”パンサー”は116人もイスラエル人を殺したんだ?ということに疑問を抱かずに見てしまえば、あるいは疑問を抱いていたとしても、次から次へ攻撃への復讐が行われる訳ですから、いつの間にか最初の疑問は忘れさ去られるのです。最初の疑問さえ忘れてしまえば、それ以降に連鎖する攻撃の理由は、そのひとつ前にある相手の攻撃が理由なわけですから、いわば”合理的な”攻撃として理解されるわけです。

そして、そういった復讐の連鎖を見ていると、どうせ”パンサー”が116人殺したのも何かイスラエルに対する復讐なんだろうと、”始まりのないように見える”連続的な復讐の連鎖の中に収束していくのです。

現実の歴史の中にある「復讐のスタート地点」を、断続的に復讐の連鎖を見せつけることで一時的に忘れさせる。あくまで歴史からは切り離されたエンターテイメントとして、どちらにも攻撃の理由があって、どちらも正義である風に見せているのです。

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