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書く目的を明確にする/note継続(秘)大作戦Ⅲ

note継続法ということで、継続に必要なものは
・時間
・ネタ
・マンネリズム
だという記事を(偉そうに)書きました。

「ネタ」のところでは、自分に合った文章のスタイル(型)を見つけることが大事だと書きまして、その点について掘り下げたのが以下の記事となります。

今回は「note継続(秘)大作戦」の第三弾ということで、継続するためのモチベーションを作る最大のポイント「書く目的」について考えてみたいと思います。


一本目の記事で「マンネリズム」(=書かないと気持ち悪く感じるレベル)の獲得が継続のポイントだと力説しました。

けれどそれに対して「マンネリ化させてまで継続する意味はあるのか?」という問いが当然出てくるものと思います。

マンネリと聞くとフレッシュさが失われていくイメージがありますし、だらだら続けているという意味合いにも取れます。

毎日更新を続けている人は、ある段階で「何で書いているんだろう」とふと我に返る瞬間があります。書き始めたころの、ワクワクした感じ、新しいことを始めているという実感がどんどんと薄まってくるからです。

継続には「マンネリズム」(ルーティンと言い換えてもいいかも知れません)が絶対に必要ですが、マンネリが気持ちを萎えさえ、継続する行為を止めてしまうこともあり得ます。

そこで「継続」を「続ける」ためには、そもそもの書く目的を明確化させないといけないと考えます。立ち止まった時に初心に戻る場所を作っておこうということです。


「noteを書く目的とは何か?」
これは多くの方が悩むところで、検索すると日々誰かがその悩みを吐露しています。

参考になるか不明ですが、自分の場合は、子供の頃から好きだった藤子・F・不二雄の著作の「考察」記事を書きたいということが最初の目的です。感想ではなく考察というところがポイント。岡田斗司夫さんのYouTubeで、ジブリ作品やガンダムの深い考察動画を見て触発されました。

普通に「ドラえもん」を読んでいるだけでは読み取れないメッセージだったり、他作品との隠れた繋がりだったり、作品が生み出された社会背景などを丁寧に語っていくと面白い記事が書けるのではないかと思いました。


最初は日頃から考えていることを文字にしようと、自分の頭の中の整理を兼ねて書き始めました。次第に検索エンジンからの方に読まれているとわかってきたので、一過性ではなくて将来検索してやってくる読者も楽しめる記事を残そうというモチベーションに変わりました。

藤子先生の最初の単行本「UTOPIA 最後の世界大戦」という作品があります。僕なりの考察記事を書こうと思って予め検索をしたのですが、ほとんどヒットしてこないことに衝撃を覚えました。「鬼滅の刃」であれば死ぬほど「考察」されているのに、あの名作の記事はほとんど見つからないとは・・。

そこで、将来誰かが「UTOPIA 最後の世界大戦」と検索してきたときに、こういう読み方もあるのかと感じてほしくて、藤子F作品の全てを記事化しておかなくてはと思ったのです。そういった心の変遷を経て、僕のnoteの目的は「藤子作品全ての記事化」ということになったのでした。


僕の参考にならない例はともかくとして、一般的なnoteを書く目的を考えてみます。

よくあるのが「文章を書くのがうまくなりたい」というものです。

この気持ちはよくわかりまして、自分も20代初めの頃映画の感想文をひたすらHPにアップさせていた時期があるのですが、この時「面白い文章を書けるようになりたい」と思っていました。

けれど、この目的の問題点としては、終着が見えないことです。毎日書くことで確かに文章はうまくなっていくはずなのですが、文章力は視覚化しづらいので、どこかで気持ちが停滞して「もういいか」と止めてしまうことが考えられます。

最初はこの目的でいいと思いますが、どこかでシフトチェンジしなくてはならないでしょう。


次に「有益な情報を読者に伝えたい」という動機もあります。この気持ちもよくわかりまして、例えば自分ですと、研修などで学んだこと、日々仕事で試行錯誤していること、本を読んで感銘を受けたこと等を、共に分かちあいたい、知ってほしいという気持ちになります。

実際、藤子作品以外の記事を書くときは、この目的がほとんどです。自分が仕事上で体感したこと、noteを書く上で試行錯誤したことなど、誰かに伝えたくて仕方がないという動機で文章を書いています。

けれどこれも問題点がありまして、常にネタの枯渇に悩まされるということです。人間は持っているものしか手放せません。しかも持ち切れる量も決まっています。情報を提供していく(アウトプット)には、情報を取り込む(インプット)必要があります。

つまりインプットのスピードが遅いと、毎日アウトプットしていくのは困難なのです。経験則で見た場合、有益な情報発信だけでは書く目的を維持できないのではないかと考えられるのです。


他にも「日記・行動記録を残したい」という目的も考えられます。一般的なブログなどはこの考えに基づいているものと思います。

毎日何かしらすると思うので、ネタの枯渇の心配は少なそうです。ただし、日記を継続することで読者数が増えていくかというと、これは保証できません。読者数が伸びないことで、モチベーションを欠落させてしまう可能性があるのです。

また、僕もそうですが、普段の仕事がリモート会議中心だったりすると、日記は酷く退屈なものになりかねません。「珍しい海外の国に住んでます」「命を懸けたスタントマンやってます」というような特異な方の日記は受けると思いますが、誰しもそうではありません。

多くの方に読んでもらいたいと思った場合に、日記を目的化するのはかなり厳しい現実があるように思います。


そうなると、通り一遍の目的意識では、継続はいずれ困難になるというのが導かれる答えです。よくある目的ではなく、自分自身腑に落ちる目的を、自らの手で見つけ出さなくてはなりません。


「じゃ、どうするの」という話なのですが、ここからは完全に個人的なオススメとして、目的を一つではなく複数用意するのはどうだろうか、という提案をしたいと思います。

僕のパターンですと、藤子先生著作の記事化をメインとしつつ、それを7割程度として、残り3割をその時に書きたいことを自由に書こうということにしています。

仕事術・note術の類の記事、怒りを覚えたことの発散、ポエムっぽいことをツラツラ書く、過去の思い出を語る・・ とにかく自由です。自由さを挟み込むことで楽しく継続できていると自己分析しています。


結局は楽しむということなんでしょうね。自分が楽しめることを主軸に、書く目的を構築するのが継続の秘訣なのだと思います。

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