理論を出発点にしながら、表現は理論を超えていかねばならない。
最近流行りのタイトルで10/10を語るタイプのお話です。
理論(セオリー)と表現(アウトプット)の関係性について、本稿では考えていきたいと思います。
まず簡単な例えとして、ブログ(note含む)の文章について考えます。
自己満足の方もいますが、基本的にブログは読者を想定して書かれるものです。その際、特に僕のような素人の文章を読んでもらうためには、いくつかのセオリー(理論)が必要と言われています。
よく耳にするのが、形式的な部分。例えば、
・一文は短くする
・文章の間隔を空ける
・1500文字程度で収める
・主語と述語は近づける
・スマホ画面で校正を加える
・呼びかけるように書く
・です・ます調とだ・である調を混ぜない
・難しい言葉を使わない
・前向きな言葉を使う
など、枚挙に暇がありません。(←これも難しい言葉なのでNG?)
一般的にこうしたセオリーを無視してしまうと、文章が読みづらくなったりして、読者の満足度が下がってしまうとされます。
しかしながら、セオリーに従ったアウトプットが、必ずしも読者にとって「面白いもの」「ためになるもの」となっているかといえば、そうではありません。
セオリーはあくまで原則であり、むしろどれだけセオリーから気持ちよく外していけるかが、その人らしい表現を形成するコツのように思います。
一読者の視点で考えてみても、確かに読みやすい文章に越したことはありませんが、肝心の中身が面白くなければ、読む価値を見出せません。
その文章が何を表現しようとしているのか、何を訴えたいのか、何を伝えたいのか、確固たる中身が文章に魅力を与えるのです。
さて、魅力ある表現を生み出すためには、しっかりとした中身が必要なのはわかりました。では、肝心の中身をどのようにして構築したら良いのでしょうか。
ここでグルっと回ってくるのですが、良い中身の構築には理論が欠かせないと考えます。ブログで言えば、誰に向けた文章か、想定読者の欲求に応え得るレベルの内容か、どんな発見や共感や驚きを与えたいのか、などを理論的に詰めていかねばなりません。
文章のコアとなる部分は、理詰めで構築し、固めていく。そして、コア部分を伝える方法は、セオリーに捉われ過ぎずに表現していく。そういう風に考えます。
ここで、本稿の考え方をまとめます。
伝えたいコアの部分 → 理詰めで構築する
コアの伝え方(表現方法) → 理論を踏まえて跳躍する
もっとも、これも一つの方法論に過ぎないとも言えますし、机上の空論という気もします。けれど僕自身は、ブログにしても、仕事にしても、上記の考え方で取り組むようにしています。
逆に一番やってはいけないと思っているのが、コアとなる部分を気分で決定し、その表現はガチガチなセオリーで固めていくというやり方です。
特に他愛のないブログでは、たまたま思いついたことを、一行ずつ間隔を空けて書く、といった形だけはきちっと守って書いたりしますが、これはなるべく避けたいということです。
論理で中身を固めることと、論理を取り払って表現すること、その二つがうまく調合した時に、素晴らしいモノ作りが達成されるのではないかと考えております。
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