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リメンバー3・12

10年前。2011年3月12日(土)。

僕は3.11ではなく、3.12を忘れてはいけないと思っている。それは、地震や津波といった避けようのない天災ではなく、明らかに人の手で作られたクライシス、原発事故が起こった日(明らかになった日)だからだ。

当時書いていたモレスキンノートの一部を抜粋してみる。

3/12 福島第一原発の水素爆発にびびる。TV、ネットに首ったけの一日。

3/13 余震は減っているが、原発の状況がどんどん悪化していって落ち着かない。(中略)明日に不安を残しつつ寝る。

3/14 昼前に原発にて水素爆発。とてつもない大きさに恐怖感を覚える。原発の対応、計画停電の対応など東電の説明はなっていない。(中略)夜になってまたも原発トラブル、1号→3号→2号と全く同じように悪化している。

3/15 昼前にさらなる原発事故。今度は4番炉で火災。そして2番でも爆発。放射能の値が人体に影響を及ぼす1000倍の数値に。(中略)東電の停電の仕切りは最悪。現場のスタッフはともかく東電に任せるのは、不安で仕方がない。

12日を皮切りに連日、原発事故への記述の分量が増えていて、東電への批判も強くなっている。あの頃の自分のイライラが伝わってくる。

ちなみに3/11には原発に関する話題は書かれていない。実際の危機は3.11から起こっていたと思うが、私たちはその翌日の12日の水素爆発で、コトの大きさを知ったのである。(このあたりは映画「Fukushima50」をご覧ください)


僕はエンタメコンテンツを世に送り出す仕事をしている。けれど、このような危機があると必ず思うのが、エンタメは世の中が平穏であるから、喜ばれて受け入れられるものであるのだということだ。

もちろん、私たち日本人にとって、地震や大雪や台風などの災害は避けて通れない運命にある。減災の仕組み作りは大事なことだけれど、そこは折り合いを付けて生きていかなくてはならない部分も多いと思う。

けれど、人災は避けて通れるはずだと、僕は思う。天災が避けられないのなら、せめて人災は制御しなくてはならない。原発事故・戦争・交通事故…。科学技術に100%安全ということは、もちろん無いことは知っている。けれど、人の手による大規模な災害は、絶対に避けなくてはならない。エンタメ業界に従事する身としては、平和・平穏でない世の中を肯定することはできないのである。

だから僕は、平和や平穏の世の中を脅かすものについては、全力で反対していかなくてはならない、と強く思う。声を上げていかなくては、と。


僕は3.12を忘れない。そして、人が住めなくなるような場所を作り出す、原発を肯定することはできないのである。


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