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芸域を広げる・ベテランリーマンの決意

最近考えていることはこれです。


エンタメコンテンツ業界に潜り込み、まもなく25年目を迎えます。この間、M&Aや組織変更などに巻き込まれ、穏やかではない組織人暮らしをしてきましたが、ずっとある意味順調でした。

営業職という立場からマーケティング職、そして企画職と少しずつ携われる範囲を広げてきましたし、キャリアの中で10年以上も管理職を経験しました。人脈も広がりましたし、やりたいことを自分の判断で成すことができたと思います。


ただ、この年になってくると、少しずつ順調とは言い難い停滞の空気を感じ始めます。

まず、新しい分野に踏み出すのは、非常に億劫になっていきます。気持ちの部分の停滞ですね。できれば、今までと同じ環境で、今まで築いてきた人脈やノウハウを使って、今までと同じように仕事をしたい。そんな風に思ったりします。

一方で、組織に組み込まれた一人として、年齢が上がっていく人間を若い頃と同じように扱ってはくれなくなります。吸収力や伸びしろのある若い人にチャンスを与え、ベテランは一歩引かせる。そういう流れがあります。

気持ちの面でも、仕事環境の面でも、停滞しているなと感じる場面がどんどんと増えているのです。

そこへコロナ禍という社会全体の停滞空気も拍車をかけて、この1~2年は働き始めて以来の、先行きの不安を覚えることになりました。


このままで良いのだろうか。
このままでいられるだろうか。
このままでいいはずがない。

色々なことが頭を巡り、感じたことのない不安がよぎります。すると頭と連動した体が、段々と言うことを聞かなくなってきます。


ただ、自分自身を覆っている停滞した空気を打開させるのは、結局自分自身だという風に思います。

気持ちを変えるのは、結局自分。気持ちのありようを変えて、置かれている状況の捉え方を変えるのです。

例えば、今までの仕事を若手に奪われたとします。けれどそれは落ち込むことでもなんでもない。

自分が25年間積み上げたものは、確固として存在しているので、焦る必要はありません。10年の積み上げで済む仕事は、10年目の社員に任せた方が良いに決まっている。

そして25年目の自分しかできない仕事をすれば良いのです。


ただ、それは裏を返せば、25年目の仕事ができなくては、ただの役立たずと成りかねないということもであります。

ベテラン選手の領域になると、組織から具体的な仕事を与えてくるようなことはありません。仕事のプロとして、自ら仕事を作り出す必要があります。


そこで重要となってくるのは、目の前に与えられた仕事をこなすことを、新しい仕事を作り上げることは、全く概念の違うものだということです。

これまでの仕事が1を2に、5に、100にしていくことだとすると、これからの仕事は0から1を生み出すものです。

それには、これまでの仕事に対する考え方をガラリと変えていかねばなりません。


そんなことを考え巡らせてきた結果、これからは自分の芸域を広げていかなくてはならないのだという、ある種の決意に辿り着きました。


もともと0から1を生み出そうということなので、何かにチャレンジして失敗してもまた0に戻るだけです。だったら、どんどんと生み出す仕掛けを施していけばいい。沸騰したお湯から泡が次々と浮き上がっていくイメージです。

これまでの受けの芸域から、攻めの芸域へ。

そんな風に考えた時に、とにかく数を打とうと思うようになりました。数打てばいつかは当たるかもしれない。でも放っておいたらそれはただの静かな水面のまま。何も生まれてこない。

水を熱湯にして、泡をボコボコと泡立てないといけない。それには、これまでの芸風から芸域を広げていかなくてはならないのです。


ただし、これまでのノウハウや人脈は生きます。これは間違いない。25年間の蓄積が下支えしてくれていると確信できているからこそ、新しいチャレンジに飛び込めて行けるのだと思っています。



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