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目的を考えずして、ルールを語るなかれ。

会社などの組織において、社会的なルールを守ることはもちろんだが、社内だけに存在するローカルルールも、組織人である以上守っていかなくてはならない。

ルールは行動の規範となるわけだが、働きとしては、「行動制限」の側面と、「構成員を守ってくれる」側面もある。

行動制限の側面では、ルールは時として活動の邪魔な存在にもなるが、ルールに従っていれば、何か問題が発生した時には、自分の身を護る防波堤にもなってくれる。

邪魔な側面、守護の側面の両方を併せ持つのが「ルール」なのだと思う。


このバランスが重要で、ルールだからと言ってそれに囚われて何か大きなチャンスを逃したり、逆に失敗が見えているのにルール通りに進めたりするとなると、何か順番が間違っている気がする。

ルールの前に、あくまでその上位概念となる到達すべき「目的」があって、目的達成のためにルールが設けられるのが順番として正しいのではないかと考える。


ローカルルールは、現実に即して変更していかなくてはならないわけだが、きちんと上位概念である「目的」を頭に入れておかないと、間違ったことになる。

常に確認すべきは、「ルールがどうなっている?」ではなくて、「目的に対して今どうなっている?」が正しい問いかけなのだ。



エンタメコンテンツ業界にいると、ルール無用という空気は常に感じるところ。儲かればどんなアイディアでもいい、既成概念をできる限り取り払ってゴールを目指そうと考える、そういった柔軟な姿勢が見受けられる。

ただし、ルール無用の向こう側には、極めて俗人的なプレーが発生することになる。

ガチガチなルールに即して物事が進行していくのであれば、プレイヤーが変わっても、結果はあまり変わらない。しかし、ルールが緩やかだったり、抜け穴だらけだとすれば、それをかいくぐるテクニックを持った人が、毎回新しいやり方を作ってしまうことになる。


例えば何か新しい企画を通す場合に、ルールがきちんと決められていれば、そのルールの中に収まるものという観点で、新企画を提案していける。

その逆にルール無用であれば、企画の内容の是非はその都度議論しなくてはならないし、提案者の技量が試される。

そう考えると、ルールというものは、属人的な行動を取る人を排除する方向で働くということがわかる。それはそれで正しい組織論だが、果たしてそれでいいのだろうか。


僕は内輪のルールは、あってないようなもの、と捉えている。ルールより、やはり目的重視であって欲しいと思っている。

組織が優先すべきは「組織存続」なのは当然のこと。エンタメコンテンツ業界における組織であれば、ユーザー・消費者が求めているものを届けるということが、第一義であるべきだ。組織の存続は、川下である消費者の購買活動によって、その雌雄を決するからである。


何かの際どい提案があったとして、「それはルールですから」と断るのは誰もできる。そうではなく、「それはお客さんが求めてませんから」と、きちんと主張できるかどうか。

例え属人的な側面が強まってしまうとしても、個人個人が力をつけていかないことには、厳しい競争に勝ち残れない。ルールに判断させるのではなく、自分たちの頭で判断していかなくてはならない。

ただ内輪のルールを守っているだけでは、消費者獲得の争いに負けてしまうし、結果として組織はガタガタとなってしまうだろう。


目的を考えずして、ルールを語るなかれ。そんな風に僕は思っています。

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