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反省会するか しないか問題

エンタメコンテンツを扱う仕事に25年近く従事しておりますが、よく浮上してくる問題の一つに、案件ごとの「反省会」をするか/しないかという議論があります。

「反省会」は、「検証会」とか「総括」とか「振り返り」とか「PDCA」などに言葉が変換されたりもしますが、意味合いは同じです。所詮は言葉遊びなのでここでは基本「反省会」で話を進めます。


普通の組織では、プロジェクトが一区切りすれば、必ず結果はどうだったのか振り返りが行われるものと思います。ですが、エンタメコンテンツ業界特有かもしれないのですが、「振り返りは意味がない」という意見が根強くあります。

まず、よくある「反省会」否定論を書き出してみます。

①エンタメコンテンツは再現性がないので、反省は無駄。
②ヒットする確率は良くて3割程度なので、失敗の反省ばかりになる。
③ヒットした作品の要因は、運や偶然である。
④この手の振り返りは、ただの犯人探しになってしまって不毛。

大体この4点を耳にすることが多いです。

それぞれ、それなりの説得力があるので、補足していきます。


①エンタメコンテンツは再現性がないので、反省は無駄。

例えば、テレビドラマで視聴率が悪かった作品の反省会をするとします。

ところが、反省の材料を探していく時に、ドラマを構成する要素は多岐に渡っているため、失敗の要因が掴みずらいということがあります。

キャスト・演出・脚本・ジャンル・放送時間帯・裏番組・宣伝・・・。これらの要素が複雑に絡まり合っているので、失敗したポイントを特定するのは困難です。

そして、仮に失敗の要素が抽出できたとして、全く同じ要素による新企画が作られることはありませんので、反省会で学び取った知見が役立たないというのです。

職業人は、本能的に意味のない作業に時間を費やすことを嫌いますので、反省しても次に生かせないとなると、だったら反省なんて無駄、ということに考えが向かってしまうのです。


②ヒットする確率は良くて3割程度なので、失敗の反省ばかりになる。

一般的にエンタメコンテンツは、ヒットの確率は3割程度でも立派、という考えがあります。逆に言えば7割がヒットしていない、コケている状況です。

そうすると、コンテンツごとに反省会を行うとなると、7割の反省会は残念な結果を詳らかにすることになり、傷口に塩を塗り続けることになります。

また失敗が最初からわかっているのに、諸般の事情で進んでしまうことも良くあります。バーターだったり、お付き合いだったり、途中で条件が変わったのに中止できなくなったり、上層から政治的に押し付けられたり。

人間、しんどい会議は嫌いですから、7割型しんどくなるような「反省会」などもっての外、となるのです。


③ヒットした作品の要因は、運や偶然である。

作品がヒットした時に、その要因を分析することは重要と思うところですが、実際的には偶然や運に恵まれていたから、ということが良くあります。何かでバズって思いの外ブームになるとか、映画であれば賞レースに乗っかるなどの場合です。

こうした場合にヒットした作品の検証会を行っても、偶然ですとか運が良かったからです、と総括できるわけもなく、無理やりいい点を見つけて強調したりします。

例えばネットでバズったから当たった場合に、「SNSの展開を強化したから」という理由が挙げたりしますが、それってどの作品でも今どきSNSは強化しているので、当たった特別な理由には直結しません。

そういう検証しか出てこないのであれば、検証会など必要ないという考えに繋がっていくのです。


④この手の振り返りは、ただの犯人探しになってしまって不毛。

実はこれが反省会が嫌われる一番の理由だと思っています。失敗の要因を挙げていくときに、責任の所在を押し付け合う構図になりがちなのです。

コンテンツの作り手は、宣伝が悪い・営業が悪い・編成(発売)時期が悪い、と内容以外の部分に失敗の要因を求めます。一方で営業・販売サイドでは、内容が時代と合っていないから、面白くないからと、中身に責任を見出そうとします。

この両者が結び付くと、コロナだからとか経営の方針がグラついていたから、などと外的要因に失敗を押し付ける言説も出てきます。

先ほど7割はヒットしないと書きましたが、つまり7割の作品で失敗の要因を見つけていかねばならず、そのたびに不毛な犯人探しが行われることになります。

そうこうしているうちに、どんな人が担当でもコケることがあるんだから、いちいち反省会なってやってられないという声が高まっていくパターンです。


ここまで、「反省会」なんて要らないという論旨を追っかけてきました。

反対論は、心情的な部分で理解できたりするので、声の大きい人が反対と言い出すと、たいていの場合「反省会」はやらないようになるか、やったとしても形だけということになります。

それが、エンタメコンテンツ業界の現状だと僕は考えています。


では、果たして本当にそれでいいのか問題について考えていきます。

僕の考えは簡潔に言えば以下です。

・反省会はやったほうがいい。
・ただし、意味のあるやり方にしないと害となる。
・意味のある反省会が出来ている組織は稀である。

やるからには適切に「反省会」をしないとむしろ害悪である。そして反省を生かして組織を回していくことは、非常に難しいという点を強調しておきたいと思います。

「適切でない反省会は害悪である」ということについて言えば、これまで見てきた反省会否定論がその理由となります。例えば、犯人探しは不毛ですし、事業の再現性が薄いことも事実なのです。

しかし、エンタメコンテンツの成功確率を高めていくには、適切な反省会を実施して、少しでも知見を蓄えていくことが大事だと考えています。確率が10%でも上昇するだけで、おそらく事業全体は相当潤うはずなのです。


文章が長くなってきたので、この続きは次回に持ち越ししたいのですが、一つヒントとして、僕が愛読している「銃・病原菌・鉄」(ジャレッド・ダイアモンド著)のプロローグから一部を引用しておきたいと思います。

「因果の連鎖を断ち切るために、因果の連鎖について研究するするのである」
「理解によってもたらされる知識は、(中略)、異なる結果を得るために利用される方が多い」


それでは、次回へ続く。


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