見出し画像

人に誇れる仕事か否か

最近、とある事情から高校時代の古くの友たちと集まることがあった。

比較的頻繁にやりとりしている友人もいれば、卒業して以来ご無沙汰の同級生もいた。

それほど長くはないけれど話ができた時に、今なにやってんだという話題になっていった。


僕は今の仕事を淡々と説明したけれど、昔からやりたかった仕事をしているので、羨ましがられたりした。

そこで思ったことは、そういう場面で、きちんと自信を持って今の仕事内容を語れることは、とても大事だということだった。

大抵の人は仕事に誇りを持っていて、きちんと自分が取り組んでいることを語れるのだろうけど、僕もその一員に加われていることは嬉しかった。

他の人のことはよくわからないのだけど、好きなことやれている自分は幸せなんだろうなって思う。


もちろん、大本命の人生ではなく、妥協に妥協を重ねた仕事なのだけど、その辺は贅沢はいえない。

けれど、それなりに自分の仕事を誇れることは、何か今までの人生を肯定できる気がしたのである。


今の仕事、ポジションは勝ち取ったものではなく、むしろたまたまたどり着いた結果論にすぎない。

けれど目の前のこと不真面目にしたことはない。不器用なりに一生懸命取り組んできたのである。


天運とそれなりの努力。そして一生懸命に物事を考えてきたこと。それらが噛み合って、今の自分が存在する。

それは誇らしいと思うし、仮に少しでも周囲の人がそう思ってくれれば、それほどに嬉しいことはない。


ただ、今みたいなやりがいを、この先10年感じていられるのだろうか。

少しずつ、自分の仕事は若手に譲り渡している。人に仕事を渡すたびに、また別の仕事を見つけているのだけど、これもどこまで続けられるかわからない。

その意味で、何事も踏ん張らなくてはならない時が、今まさに迎えているのだろう。

何事も億劫になりがちな今だからこそ、現役感にこだわり、惚けないようにしたい、そんなふうにに思うのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?