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変化に富んだ一年でした。<仕事篇>

今日からお正月休みがスタート。年明けの仕事は1月5日からのスタートなので、8連休ということになる。

仕事について言えば、今年はそれなりに変化に富んだ1年だった。

どう変化したのかを述べるため、少しだけ自分の頭の整理ついでに、ここ数年の仕事の流れを追ってみる。

2019年の9月まで営業職を担当していた。1999年の社会人デビューから基本的にずっと同じ業務をしていたので、約20年営業の仕事に従事していたことになる。

2019年10月からはマーケティング業務と企画職を兼ねる仕事に就いた。長年勤めてきた営業職とは毛色の異なる仕事で、非常に不安だったのだけど、やってみると挑戦しがいのある業務であった。

しかしながら、すぐにコロナ禍に入ってしまい、これまでの常識が通用しなくなる時期と重なってしまった。その中で、新しい形のマーケティングを模索して、それなりの成果を上げることができたのではないかと思う。

ただ、このあたりから仕事人生の流れが思うようにならなくなっていく。

コロナを経て会社の方針が大きく変わっていったことと、その時の上司との折り合いが非常に悪くなったことが重なって、管理職を外されることになったのである。2022年5月のことだ。

その後は専門職の立ち位置で、企画の仕事を細々と担当していくことになる。管理職では無くなったので、仕事に張り合いが無くなるのかと思いきや、意外にも自分の仕事だけに集中できる環境は、非常に心地よいものであった。

これまでの参加しているだけの会議の時間が無くなり、その分、存分に目の前の仕事に着手できる。時間に余裕ができるので、取り扱うアイテムの量も増えていく。

こうして企画職に専心した結果、かなりの数の商材を転がすことになる。新たな出会いなどもありつつ、数年先までを見据えた仕込みなども着々と整えることができたのである。

ところが、ここでさらに激変が起こる。

それが今年2023年の4月。詳しくは書かないが、組織の大変革に巻き込まれて、関連団体への出向を命じられたのである。

かなりの数を仕込んでいたので、この引継ぎをどうするかが、真っ先に課題となる。一緒にやっているメンバーに渡すことになるのだが、増員があるわけではないので、単純に押し付ける形となってしまう。

丁寧な引継ぎを会社に要求したが、その点の考慮はほとんどしてくれなかったように思う。非常に腹立たしい気持ちになったが、組織とはそんなものだと思わないでもない。

また、出向先の仕事もそれほど簡単ではなかった。ただ、今まで培ってきたノウハウや人脈は活かせるのがラッキーで、傍目には簡単そうに取り組んで見えたかもしれない。

出向先の仕事は自分のペースではなく、全体のスケジュールありきで動くタイプだったので、周囲の動きに振り回されることになったのだが、それはそれでやりがいもある仕事であった。

この仕事は9~10月が最盛期で、一つのピークを迎えて、今は落ち着いた状況となっている。

ちなみにこの集中的な激務がきっかけで、肺炎を起こしてしまったことは、noteにしつこいほど書いた通りである。


本稿を書いてきて、この一年が変化に富んでいるのではなく、ここ数年ずっと激変の渦中にあることが改めて知れた。

では、来年、またそれ以降はどんな風に変化の波にさらされることになるだろうか。

奇しくも来年は50歳の大台を迎える。仕事人生は完全に折り返し地点を回っていて、時間が無限ではないことを強く自覚する。

幸いにして、40代を充実した時間にできたとは思っていて、この間に得たものが、きっと次の10年をさらに充実させてくれるのではないかと考えている。

この辺は、非常に楽観的なのである。


ところで、我が敬愛する藤子F先生生誕90周年の記念イヤーに突入しているが、我が人生も間もなく生誕50周年を迎える。なんと意外にも、自分とF先生とは40年しか年齢が離れていないのだ。

自分と息子の年齢差も40歳なので、そう考えると、僕は藤子先生の子供だったということになる。

何だかわからないが、来年に向けてやる気が出てくるではないか。




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