見出し画像

あらゆることを信じ、あらゆることを疑う

僕は基本的に何事も一度信じてみることにしています。

突拍子もないこと、にわかに信じがたいデータ、いかにも嘘くさい話、みんなから嘘つきと言われている人の発言、等々。

特にみんなが嘘だろ、と思う物事ほど、一度信じることが大事だと思っています。逆張りの妙と言いますか、皆が疑ってしまうことを頭から否定しないことで、思ってもみない発想や事実が浮き彫りになったりします。

これは特にクローズな環境に身を置く人ほど大事な考えだと思っていて、例えば僕のいるエンタメコンテンツ業界の20年前などは、ビジネスといえばそれまでの慣習をなぞることだったり、俗人的な繋がりの中で契約が固まったりしていました。

なので「週刊東洋経済」や「日経新聞」やワールドワイドのニュースだったりを、積極的に取り込んでいる人は少なかったように思います。

どこか自分たちの業界は、世間一般のビジネスとは離れたところにあるという意識があって、他の業界の考え方を取り入れることはあまり意味がないように思われていたのです。

僕自身、業界に新風を起こそうなどというつもりはなく、他業界のビジネス記事が面白くて仕方がなかったので読んでいたに過ぎなかったのですが、これは後年考え方の幅を広げていく意味で重要な作業だったと思っています。

ここで重要なのは、「皆にとっての非常識」は、あくまで閉じた世界の中だけのことかも知れないということです。ですので、何事も頭から否定せずに、もう少し俯瞰したり、見方を変えることで、その情報が生きることがあるのです。


その一方で、僕は基本的に何事も一度は疑ってみることにもしています。

「これからは~の時代」とか「若者は~していない」などのリソースの怪しい情報は、真っ先に疑うようにしています。

時代論で言えば、「風の時代」とか「DXの時代」「ダイバーシティの時代」などです。若者論で言えば、「若者の車離れ」「若者はテレビを見ない」「若者はパソコンを使えない」などいったやつです。

決めつけのような、極論のような言説は、まず最初は疑ってみることが肝要です。例えば「若者の車離れ」とよく言われますが、昔と変わらず都心部以外では車がないと快適に暮らせないわけで、都会の一現象を全国画一的な事実にしてしまうのは危険です。

仕事をしていると、どこかで聞いたような話を元に物事決めつけてくる人が大勢います。大きな流れだけを見ている人もいます。でも、私たちが住んでいる世界は、多様性に溢れ、人それぞれに個性があります。

世代ごとの傾向があることは否定しませんが、それらを一言でまとめられるほど世の中単純ではないように思っています。


さて、ここまで読んできた方は、信じることと疑うことのどっちが大事なのだ? と思われたかも知れません。僕としては順番はどちらでもよくて、要は物事を片面的に見て満足するのは止めようと、自戒しているという話なのです。

物事を多面的に見ること。これは、歴史の勉強から学んだことです。


例えば、徳川吉宗の享保の改革によって、傾きかけた江戸幕府の財政が立て直しを図られた、という事実があります。吉宗は凄い、というお話なのですが、これは本当なのでしょうか?

農民の視点で吉宗を考えてみます。すると吉宗は年貢率を上昇させた鬼のような為政者だという見方が出てきます。吉宗のせいで幕府の財政は改善したかも知れませんが、農民の暮らしは困窮した、と考えられるのです。

ところが、また別の視点からみると、この頃稲作の農業技術が大幅に向上したと言われています。なので、年貢率が高まっても農民の手残りは増えたと考えることもできます。この観点だと、享保の改革は、農民の暮らしと政権の財政のバランスを取った施策だった、と言えるのです。

このように一つの「改革」を色々な角度から捉えることで、多面的な事実が浮かび上がってきます。これは現代の「アベノミクス」の捉え方などにも応用可能です。


無闇に否定せず、簡単に受け入れない。信じたり疑ったりと忙しいですが、特に新しく入ってきた情報や言葉に触れる場合、面倒くさがらずに事実を多面的に捉えていきたいと考えています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?