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好きなことを書きたいけれど

今日は旅先からなので簡単に。

普段からレポートや議事録やセールスシートなど、様々な書き仕事をしていますが、あくまで定められたことを、一定のフォーマットに落とし込んでいるだけで、そこに書く楽しみを見出すことはできません。

ですので、好きなことを自由に書きたいと思ってnoteを始めました。

けれど、何本も記事を書いてきて、それなりの反響が出てきた時に、制約が生まれてきました。

それは「批判めいた文章を避けること」です。


敬愛する藤子作品のレビュー記事を書いている分には批判など浮かんでこないのですが、世の中に溢れかえっているエンタメコンテンツについては、どうしても粗に目が向かいがちです。

特に藤子作品と比較などをしてしまうと、完成度の低さだったり、教養の浅さだったり、稚拙な表現などを指摘したくなります。

けれど、特に藤子Fノートと改名してからは、安易な批判をするのは意識的に避けるようになりました。

精神衛生上よろしく無いので、藤子先生と関係のない映画や小説のレビューをするのもやめてしまいました。

どうしても不出来なコンテンツを扱う時には、論理的でない部分や、脚本的に不備がある部分を指摘しますが、それもなるべくユーモアを交えて深刻な口調にしないようにしたいと考えています。


最近、この思いを強くする出来事がありました。

それは、自分の記事が他の方の記事に引用されたのですが、その内容がこちらとしては納得のいかない批判的なものだったのです。

そこでは、藤子作品というメジャーな作品レビューを扱っているこのnoteは、権威的な意識があると書かれていました。

こちらとしては権威などと考えたことは微塵もありません。反論をしようかとも一瞬考えましたが、やめました。

というのも、権威的という表現は客観的でなく、反論しても、「そう思ったので書いたまで。何か問題でも?」と、再反論されるのがオチだと思ったのです。 


論理と感情が混ぜこぜになりがちな「批判記事」は、きちんとした書き手でないと、単なる悪口で終わってしまうことがあります。

意味のある批判をするには深い教養と洞察力が必須なのです。


また、批判文はきちんとした考察を経て書かれたものであっても、読み手に不快な気持ちにさせてしまう可能性があります。

もちろん、挑発的な内容のnoteがあっても良いと思いますし、実際僕も楽しんで読んだりしてますが、まあ、僕がやらなくても良いかな、とそんなふうに思っています。


ですので、自由気ままに書き連ねるnoteではあるのですが、少なくとも他者のクリエイティブに対して批判めいた記事を書くのは避けておこうかと思います。

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