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調べものの時間が好き

先日突如として「ブラタモリ」が最終回を迎えた。

決まったテレビ番組をほとんど見ていない自分にとしては珍しく、この番組は最初の頃からほぼ欠かさず楽しみにしていた。ついにこの時が来たかと、非常に残念な気持ちである。

レギュラー放送はこれで終了だが、スペシャルとして復活する可能性も示唆されていた。是非とも、半年に一回くらいは日本のどこかをブラブラして欲しい。


「ブラタモリ」は日本の隅々までタモリがブラブラする番組だが、観光地や名跡を巡ることを主題としない点がユニークだった。番組が着目したのは、土地ごとの地形図とか、地層の成り立ちなどであり、地図を眺めるのが好きな自分としては、理想的な番組だった。

また、毎回各地の郷土史や地形・地質に詳しい方が登場するのが定番となっている。

僕はそうした「郷土の研究を30年続けています」みたいな人が登場するたびに、非常に羨ましく思っていた。研究とは、すなわち調べもののことだと思うが、何十年にも渡って、ライフワークのように一つのテーマについて調べものをする仕事に憧れがあるのだ。


もちろん、僕の仕事の中の一部分にも、調べものをして、丁寧に整理していくといった作業が含まれている。思えば、一つのことを一心不乱に調べている時が、もっとも心が落ち着いているようだ。

今日も、とある課題についての調べものを延々とやっていたのだが、まさしく時の経つのを忘れて、あっと言う間に終業時間となっていた。

ブラタモリを見てもそうだし、今日のように時間の経過も吹っ飛んでしまう程に調査・研究に没頭してしまった時に、「生まれ変わったら是非とも何かの研究家になりたい」と強く思うのだ。


・・と、そんな話を妻にすると、「あなたは一つのことに熱中し続ける柄ではない」と言われてしまう。

飽きっぽくはないのだが、確かに、一つのことだけを続けていると、これ打で良いのかと、何かの拍子に不安に襲われることがある。基本的にスペシャリストではなく、ジェネラリスト志向だという自覚もある。

自分が必ずしも向いていないからこそ、何かの道一筋の専門家になりたいんだと思うのかも知れない。


ただし、仕事では一つのことだけを突き詰める研究者にはなれなかったが、プライベートにおいて僕には藤子Fノートという「ライフワーク」を見つけている。

研究というには雑な作業ではあるが、それなりに考えて、組み立てて、文章を練っている。執筆にハマってしまうと、あっと言う間に数時間経っていたりする。

まあ、これでいいんだろうなと思う。

時の経つのを忘れるくらい熱中することがあるならば、それで良いのだ。




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