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人から情報を聞き出すためには

9月10月は忙しい毎日を送っていた。そして11月は体調不良に悩まされた。ところが12月に入り、精算業務をあらかた終えてしまうと、いきなりすることが無くなった。

さすがに業務時間にnoteの執筆をするわけにはいかないので、何か「仕事」をしなくてはならない。来年にはまた忙しくなる予定だけれども、少なくとも今月は急ぎの要件がほとんどないのである。


これまでの仕事人生でも暇になる瞬間というのは一応あって、そういう時は情報収集だったり、情報整理を行うことにしてきた。情報収集とは主に人と会うことであり、情報整理とはデータの整備のことである。

ただ、情報収集のために人と会うと言っても、自分が情報を聞き出すばかりでは、先方が時間を割くメリットがなく、次第に会ってもらえなくなってしまう。

なので、自分においても、常に独自の情報だったり見解をまとめておく必要がある。こちらからも渡せるものがなければ、先方から貰うこともできないのである。

ただし、ここで問題となってくるのは、この情報化社会において自分独自の情報を持つことが難しいということだ。

よって、今の時代が、ほぼ誰でも同じような情報が入手できるのだとしたら、そこにどれだけ自分独自の見解を盛り込めるかが、勝負の分かれ目となるように思う。


では、独自の見解は、どのようにして生み出すことができるのだろうか。

一つには、やはり自分の頭で時間をかけて考えることだろう。検索して人の意見を収集するのではなく、自分がそれまで培ってきた正義感とか、絶対に譲れない価値観とか、職業的な見解を元にして、自分の言葉で物事への見解をまとめるのである。

もう一回書くが、安易な検索はご法度である。世間に転がっている言葉は参考にしても良いが、鵜呑みにしてはいけない。

本当にそうなの? 違う見方があるんじゃないの? と、人様の見解は疑ってかかる方が健全ではないかと、僕は考えている。


もちろん、人間は不完全な生き物なので、当然自分の見解も不完全だという認識はいつも持ち合わせている。不完全とわかっているからこそ、人と会ったりして自分の意見をぶつけてみるのが大事なんだろうと思うのだ。

しかしながら、最初にぶつける不完全な見解すら用意しておかないと、人と議論を深めることはできない。よって、話が戻ってくるが、自分の頭でしっかり考えて、自分なりの意見を持つという習慣を身に付けねばと思うのである。



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