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これからは「自分軸」だ、という話。

少し前に高校の同級生二人と飲みに行った。二人に合うのは一年半ぶりくらいだろうか。割と最近会ったばかりだけど、今回はたっぷりと時間を取って話すことができた。

3人それぞれ全く違う仕事に就いているが、自分の進んできた道に後悔がないと考えているタイプである。

しかし、今年50歳という人たちでもあるので、今後の生き方については各人思う所がある。

そんな中、一人の友人は幾度となく「自分軸」という言葉を使っていたのが、特に印象に残った。

そいつは若くして結婚して子供も二人できたのだが、もう子供たちは独立してしまい、今後については自分のやりたいことをきちんとやろうという風に考えているのだという。

その際に出てきた言葉が「自分軸」である。

その意味するところは、子供のためとか、会社のためとかではなく、今後は自分のためという軸を中心に、働いたり、遊んだりしたいということであった。

友人の言説に乗っかれば、僕などはまだ子供が小さくて、「自分軸」で物事を考えていく状況にはない。

けれど、これから迎える50代という人生の最後の盛りのような10年を、これまでの延長のような、流れに身を任せるだけの生き方にはしたくないという気持ちはある。

いや、もちろん、ある程度は自然の成り行きに従うことも大事だとは思うのだけど、すごくやりたくないことをやる必要もないのかな、とも感じる。

60歳で仕事を辞める時代でもないけれど、60歳以降バリバリと働ける環境を手に入れることはそれほど容易くはないはず。

いつまでも生き生きと過ごすため、自分の置かれている状況や能力を勘案して、ある程度計算立てて、動く必要を感じるのである。

ただし、新たに道を切り開くためには、指針が必要となる。闇雲にトンネルを掘っても、出口にたどり着けないだろうし、途中で埋もれてしまうかもしれない。

ある程度の出口や、中継ポイントを俯瞰して見つけておくべきであって、そのためには進む道の羅針盤を設置するべきなのだ。

これからの仕事人生について最近はずっと考えているが、そんな僕の心に、友人の「自分軸」という言葉が、ピクンと引っ掛かったのである。

でも、自分軸を据える前に、そもそも自分とは何かという、ある種の自分探しが再び目の前に立ち塞がる。

自分は何をしたかったのか。何をしてきたのか。そして何をしていきたいのか。過去と現在と未来を考え抜かねばならない。

それらは一直線に繋がればキレイだけど、そうでなくても良いはずだ。必ずしも過去と現在の延長線上に、未来を据えることもあるまい。

これまでとは全く別のアングルで考えてもいいし、何なら別次元に飛び出したっていいはずだ。

そういえば、間もなく60歳を迎える先輩が、もう一回大学で勉強すると言っていたことを思い出す。

学ぶことで成長するという、若かりし頃の気持ちを取り戻したいのだという。

この先輩は、現在はさておいて、過去と未来を結び付けているのだろうと思う。そういう考え方もありだ。

自分軸。久しぶりに良い言葉をインプットできたので、この機に良く、この先のことを考えてみたいと思う。



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