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無名な人たちによる、専門的なnoteが好きです。

何を隠そう、noteの読者としては、不真面目な男である。

特にこの一年ほどは、それまでのように他の方のnoteを熱心に読めてはいないのだ。

ただそれでも、時間が空いた時などは、フォローさせてもらっている方々を中心に覗きに行くようにしている。


僕が巡回しているnoteの中では、いわゆる著名人ではないが、かなり専門的な知識を披露されているものがある。

一体どういうことでそれほどの記事を書き続けられるのかと、驚くばかりである。

自分のnoteもなるべくコアなコンテンツを書くようにしてはいる。けれど、所詮は既存の作品(藤子F先生作品)におんぶ抱っこであって、専門的とは言い難い。

はっきり言って、労力さえかければ誰でも書けそうな内容ばかりなのだ。


思えば、自分は考古学者や気象学者などに憧れる子供であった。人生を賭けて一つの専門的な分野にトコトン迫っていくような、そんな職業に就きたかったのだ。

ところが、そんな気持ちすら忘れて、今では何となく中途半端に目の前の仕事や趣味に勤しむばかりである。

そんな人間であるから、当然のことながら、noteでの発信もある種の中途半端さが拭えないのである。


こう考えていくと、noteやブログなどの発信が評価されるためには、それなりの専門性が必要だと思うし、専門性を獲得するには、人生を賭けるような己のテーマを見つけて、追求していかねばならない。

誰でも気軽に発信できる時代となり、世に出ることのショートカットが可能となった。けれども世に出てから、それを通用し続けることは大変に難しいように思う。

ショートカットした分、その先の人生が長いのである。


今フォローさせてもらっている人たちは、基本的に無名な人たちだと思っているが、心からすごいと思っているものばかりである。僕のように誰でもない無名な人たちが専門性と奮闘されている姿が見て取れる、そんなnoteが好きである。

そんなことを思いつつ、僕は皆さまのnoteを渡り歩く。



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