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悪貨は良貨を駆逐する

ときどき日常でも僕が使う言葉なのですが、使うと大体「?」という反応をされます。もしご存じない方がいれば、意味は辞書なりWikiなりを見てもらえればと思いますが、僕の捉え方は以下となります。


例えば日常の仕事において、10の内容を8とか9で仕上げて、これが大変評判を得たとします。

しかし、5や6レベルの内容の仕事をする人がいて、彼らも同様の評価を得るとします。

すると、これまで高得点を狙って仕事をしていた人は、「なんだそれほど根を詰めなくてもいいんだ」と思うようになります。

そうなると、仕事のクリアポイントが10段階の5になります。

さらに、2とか3の業務レベルでやはり評価が変わらないことになると、もっと仕事のクオリティは落ちていくことになります。

これが「悪貨(=できの悪い仕事)が良貨(=できの良い仕事)を駆逐する」メカニズムです。


このプロセスを防ぐためには、貨幣価値の下限を決める必要が出てきます。きちんと良貨を評価しながら、悪貨を漏れなく排除していかなくてはなりません。ビジネスで言えば、仕事の評価基準を定めるということです。

加えて、良貨か悪貨か、金銭の価値をきちんと見極める評価者やシステムが必要となります。これは仕事においては、考課者が公正な目を持つ必要がある、ということになります。


会社全体の業績が悪かったとして、社員全体にあまり高い評価をつけることのできない状況では、人事評価を間違えると、すぐに「悪貨が良貨を駆逐する」環境に陥ってしまいます。

例えば、全体の業績が悪いことを理由に一律に社員の評価を下げたりする場合、当然社員間では成果を出した人、そうでない人がいるわけで、それを一律化にすることで、仕事の質を高めようと努力していた人がやる気をなくす可能性があります。

やってもやんなくても一緒。そういう気持ちが芽生えてしまうと、途端に仕事の質が落ちてしまうのです。


鎌倉時代の「御恩と奉公」の話にも通じます。鎌倉幕府は、自分たちのために尽力してくれた武士(奉公)に対して、土地や報償(御恩)を渡すことで、両者の結びつきを強めていました。

ところが、元寇が攻めてきた時、武士たちは一丸となって奉公したものの、もともと外敵を追い返すだけの仕事であったため、戦いに勝っても幕府は得るものがありません。よって、駆けつけてくれた武士たちに報償を渡すことができなかったのです。

真剣に戦っても得るものがなければ、真剣になるだけ無駄。そういう気持ちが働いてしまいました。これによって、幕府の求心力が衰えていくきっかけとなってしまったのです。


会社などの組織を運営するにあたり、社員の仕事の質を高めさせるには、継続的にそれなりの給料や評価を用意しないといけないことがわかります。それには業績を上げて報償の元手を蓄えなくてはなりません。

仕事の質向上 → 業績向上 → 報償アップ → 仕事の質向上 → ・・・

と、このようなサイクルが出来上がるのが理想と言えます。

この形を作り上げるためには、仕事が業績にきちんと結びつくようにしなくてはなりません。頑張りを無駄なく業績アップに繋げる必要があります。

・営業は、今の仕事が売り上げにきちんと直結しているか。
・広報は、今の仕事が認知度アップに繋がっているか。
・企画は、今の仕事が顧客の求める商品・サービスになっているか。
・総務人事は、今の仕事で社員の働きを効率的にさせているか。

など、自分たちの仕事を細かく点検していかなくてはなりません。


もっとも、短期的ではなく、中長期的に成果を出す仕事もあります。そのバランスは非常に大事なものと思います。

とは言え、背に腹を変えられない状況はありまして。。。

残念ながら、業績向上に結び付かない仕事は、なるべく早く手を引いた方が良さそうというのが、「悪貨は良貨を駆逐する」から導き出される結論なのかもしれません。


ちなみに、この記事でnote開始から200本目到達となりました(つぶやき除く)。全然余裕はないのですが、引き続き積極的な投稿を続けたいと思います。


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