モチベーションと負荷について
noteでも何でもいいのですが、「継続」するためにはモチベーションを持ち続ける仕組みが大事だとよく言われます。
確かに一面ではその通りで、一過性のモチベーションアップだけでは、何ヶ月も何年も物事を継続させていくことはできません。
つまり、何かを継続させるためには、継続的にモチベーションを上げておく必要があるということです。
ここで疑問が湧いてきます。
モチベーションを何ヶ月も何年もずっと持ち続けることはできるのかという問題です。
そもそも物事を継続させることが難しいという話なのに、モチベーション(=気持ち)を特別扱いして継続させるというのは、とても現実的ではないように思えます。
そこで、モチベーションに頼らない継続方法はないかと考えることになります。
極端な話を言えば、やる気がゼロの日でも楽々継続できるような理想的な状態を作ろうということです。
よく言われることでは、継続をある種のルーティンだと捉えて、習慣化させてしまおうというものがあります。
寝る前に歯を磨くみたいな、日常の流れに継続させたいことを組み込んでしまおうというわけです。
これは僕も実際に行っていることで、例えばnoteの執筆は、寝る前の時間にPCを開くことを日常化させて、その流れで記事を書き上げるようにしています。
「書かなきゃ」という義務感ではなく、「とりあえずPCを開いてみるか」という軽いノリを大事にして、モチベーションに依拠しない習慣化を実現させています。
他にも、昼休憩と電車の移動で「将棋ウォーズ」を立ち上げるとか、仕事においても月曜日の朝一は心理的負担の少ないデータ整理から始めるなど、やる気の有無に関係しないルーティン化を心掛けております。
ただ、ここで一つ問題が発生します。
それは、どうしてもやる気を出さないと行動できないような作業や仕事もあるということです。
そしてそれは、一過性ではなく継続性が大事なものだったりもします。
そんな心理的もしくは肉体的に負荷のかかる物事に対しては、どうしてもド根性を中核とした高いモチベーションを発生させないと、対応できないのです。
ここで話はぐるりと巡り、結局はモチベーションを持ち続ける方策も、きちんと編み出しておかねばならないことになってきました。
ここで僕が考えているのは、モチベーションにも大小の二段階があるのでは、ということです。
大きいモチベーションとは、人生において大事にしていきたいこと、実現させたいことへの欲求となります。小さいモチベーションが、一過性で気持ちをアゲる際に用いられるものです。
このように二分割してモチベーションを捉えています。
先ほど問題に浮上した「負荷のかかること」は、人生において四の五の言わずやらねばならないことに分類することで、大きなモチベーションを働かせて突破していこうということになります。
負荷のかかることから逃れたい気持ちはありますが、人生の大事を追究するためには、負荷はいとわない。
どれだけ大きなやる気を持つことができるかが、人生の勝負の分かれ目になるような気がしてならないのです。
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