仕事帰りに文章について考える。
今日もてっぺん越えの帰宅となる。このnoteも電車の中でスマホ片手に書いている。
基本的に僕は文章について、パソコンの前に座ってじっくり書きたいタイプである。
よって、スマホで長めの文章を書くのは、いささか不本意なのだけど、毎日更新のためなら仕方がない。
かつてスマホで書いた小説でデビューして話題をさらった作家がいたが、今はもう珍しくもないのだろう。
スマホで書くことに慣れて、逆にPCで文章を書けないという人の話題を聞いたことがあるが、ま、それも時代の流れということだ。
その一方でノートに手書きでメモをしたり、思索を書き綴ったりする人も健在である。
僕も小型のモレスキンを常に携帯していて、何かがあるとメモを取るようにしている。
デジタルのメモは便利だけど、いつの間にかデータは消えてしまいがちだし、後でつらつらと見直すことも少ない。
その点、紙は優秀である。いつでもパラパラと読み返せるし、なかなか無くなることがない。
子供の頃書いた日記も残っているし、自分の親とか祖父の代の文章も随分残っている。
これはスマホのデータだとそうはいかない。僕の感覚では、デジタルデータの方が儚い存在に思えるのだ。
僕はもう長いことnoteを書いていて、これまでの総文字数は三万字に及ぼうとしている。
これだけの長い文章を短期間で、手書きで執筆することは物理的にできないわけで、それはデジタルの恩恵なのだけど、デジタル上の文章は何かの拍子にどこかで失われてしまう危険性がある。
文章が失われるということは、執筆に費やした時間も失うことを意味する。それだけは避けなくてはならない。
noteにおいても、十分に注意を払って文章を書き溜めておかねばなるまい。
なにせ、デジタルデータは儚い存在であるのだから。
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