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無責任根絶運動

無責任な人たちとどう対峙していくか。これは仕事人生においてかなりの重要なテーマとなっています。

組織人であっても個人商店の人であっても、仕事する相手が必ずいるので、そこが無責任体質だと、かなり困ったことになります。

無責任者の言動によって、プロジェクトが滞ったり、事業が間違った方向に進んでしまうものだからです。


ただ「やらない」だけの放棄型も困りますが、色々と口出すくせにプロジェクトの途中で投げ出したり、逆に足を引っ張ってきたりする人もいます。

仮に迷惑型としておきましょう。

他にも高い所から総論だけ理想的なことを言ってるくせに、具体的な各論に入ると理想に水をかけたり、議論をひっくり返す上層の人間も目につきます。

離れた物事には理想主義的なのに、身近な課題となると否定から入る、みたいな・・。これを上司型とでもしておきます。


色んな方やパターンはありますが、総じて言えるのは、自分のことがかわいくて、他人のことをきちんと考えない人が多いような気がします。

責任に付随する面倒くささが嫌いなように見受けられます。人の責任背負い込んで文句言われたくないという消極的な姿勢です。


無責任の反対語として、「責任」を定義づけると考えがより深まります。

責任感がある、責任者として信頼できる・・。そんな評価を受ける人は、相手の立場に沿って物事を考え、きちんと具体的な出口を指し示すことをしています。

この「出口」を指し示すところがポイントで、責任感のある人たちは手掛けているものを着地まで一緒になって並走してくれるものです。

逆に無責任の度合いが強い人間は、「入口」だけ口を出して、それで仕事をした気分になることが多いです。

「出口」が責任感のある者、「口出」が責任感のない者 と覚えましょう。ここ、試験に出ます。


取引先や部下や会社のことを我が事として受け止める。かと言って我田引水もしない。自分の案件となったら最後までやり遂げる。もしくはしっかりと見届ける。これが責任ある者の行為です。


ところが、現実的にはかなりの割合で無責任者が社会には蔓延ってます

例えば、上司ー部下の関係だったら、上司にとって、部下の仕事は全て我が事であり、責任を負う立場となります。

ところが、ここをなんやかんやで言い逃れする輩が多いのです。

部下の責任を背負えないのは、もはや職務放棄です。ですが、この手のタイプは言い逃れが巧みだったりしますので質が悪い。


少し話がズレますが、何かと「責任とれるのか」とか言い出す人って、十中八九自分は責任取らないですね。経験則的に。

「責任とれるのか」と無意識的に責任を押し付けてくる人って、最も責任を取らされたくいタイプだと思われます。

よって、僕の中では「責任論を持ち出す人は無責任」ということになっています。これも試験に出ますのでよく覚えておいてください。

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