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文章力があるって、どーゆーこと?

本日は、文章力があるとはどういうことなのか、答えが出るかはわかりませんが、少し考えてみたいと思います。

まず、文章力があるとかないとかは、何をもって判断されるのか。それには文章の目的を考えてみることから始めてみます。

当然のことながら文章は、それ自体が目的ではなく、何かを伝えるための道具に過ぎません。何か伝えたいものが先にあって、それを文字とか文章に写し取り、文章を媒介にして、読み手に「何か」を伝えていきます。

つまり文章の目的とは、伝えることです。

その点から文章力がある文章というものは、伝える力が優れているもの、と定義できそうです。


次に文章力のある人はどういう人なのか、考えてみます。先ほどの文章力のある文章の定義から援用すれば、伝える力が優れている人、ということにはなります。

しかしながら思うのは、「伝える」と言っても、伝えるものが何かによって、伝え方が異なるはず、ということです。

例えば、単に事実だけを伝えたいのであれば、正確さや端的さが重要になってくるでしょう。しかし、事実を通じて「怒り」を伝えたいのであれば、文章には感情的な表現が加わることになります。

怒りを伝えたいのに、読み手が「それが何か?」と思ってしまっては、その文章は力が足りないということになります。

一般的に、「事実を伝える文章」と「感情を伝える文章」では、質が大きく異なるものだと考えられています。(もちろん、その中間的なものもあります)

文章の書き手は、伝えるべきものが何かを正確に定めて、その伝え方を凝らしていかねばなりません。

そうなると、「文章力がある人」というのは、「伝えたいものの性質に応じて色々な伝え方ができる」人、と言えるでしょう。


また、「伝えたいものが何かを正確に定めて」と書きましたが、この伝えたいものを正確に捕捉する力もまた、「文章力がある人」の必要条件と言えるでしょう。

そもそも伝えたいことが理解できていない人間が、何をどうテクニックを凝らしても無駄なのです。


ここまでを整理しますと、文章力があるとはどういうことなのか、について3つの答えが見えてきました。

伝える力が優れている
②伝えたいものの性質に応じて色々な伝え方ができる
③伝えたいものを正確に捕捉できる


ここで自分はどうなのか、少し当てはめて考えてみます。

ある年齢になるまで、実は上のような整理がずっとできていなかったので、文章力がある=何かいい感じの文章が書ける人、程度にしか考えてきませんでした。

例えば映画の感想文を書くとして、自分のまとまらない感情をそのまま、「文学的」に表現してしまったりしていました。

「文学的」とは、僕の場合、村上春樹っぽい、という意味になります。

伝えたいことも整理できていなければ、人に伝える正確さもなく、ただ表現だけは何か春樹っぽいという。そんな最悪な文章を、書いてきたという風に思っています。

ある時、妻に指摘されたことをきっかけに、正確に物事や感情を描写することが重要なんだと思うようになりました。

正確な文章と言うと、何か型にハマったつまらない文章を想起していたのですが、それは単なる誤解でした。


このnoteでもかなりの文章を書いてきましたが、常に分かりやすく、的確に表現したいと考えてきました。

2年以上続けていても、誰からも文章力があるとは言ってもらえてないので、おそらく僕の限界はこの辺なのでしょうが、考えていることがうまく文章化できるとかなり嬉しいものです。

専ら自己満足の世界ですが、伝えたいことをきちんと伝えられるように、今後も記事を書いていきたいと思います。

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