文章をいくら書いても成長はできない

をいくら読んでも成長できない。
闇雲に行動したって成長できない。
テレビや映画を観ても成長はできない。
目の前の仕事に追われても成長はできない。
SNSを毎日頑張っても成長できない。


もちろん慣れというものがあるので、何事もある程度反復すれば、要領が良くなって時間が短縮できる。子供だったら「すごいね」と褒めてあげるべきだけど、大の大人が多少物事慣れたからと言って評価はされない。

僕自身を振り返ると、ひたすら書きまくったり、文章上達の本を読んだり、人の上手い文章を真似たりしていた時期はあるけど、そこで何か成長したのかと問われると答えに窮する。

確かに文章書くのには慣れたかな、という程度。


逆にいつ自分が成長したかなと考えると、
・大学受験での浪人生活と、
・大学のゼミナールの勉強と、
・組合の委員長をした
3つの時期が思い浮かぶ。


浪人時代。国語に重点を置いた受験勉強を終えて、読解力が異常に高まった感触があった。難しい本でもゾーンに入って精読していけば、中身がスラスラと頭に入るようになった。

自分は何でも読解できると自信がついて、大学の教科書を読むのも全く抵抗が無くなった。そして不思議なことに、難しい本が読めるようになると、人の話を理解する能力も高まったように感じた。


大学のゼミでは自分の考えを人に伝える力が上達した。科目は少しマイナーな法律のゼミだった。毎週のようにこれまでの通説、実際の判例、現実に起きた事象、そこからどのような根拠でどのような自説を導き出したのかなど考えた。

きちんと理論的に自説を構築するのは難しい作業だったけれど、とても楽しかったし、2年近く経つと考えが人によく伝わるようになっていった。


仕事を始めて中堅に差し掛かったところで、組合の委員長を2年ほど経験した。一般組合員と会社の間に立って奮闘したが、これでリーダーシップとは何かを実地で学んだと思っている。

何がベストかを執行部で議論して、組合員とも共有して、経営者とも議論を重ねて、要求を飲ませたり回答を引き出したりした。関係者全員がそれなりの納得をする決着点を見つけなくてはならず、色んな立場でものを考えるクセがついた。

委員長として、決めなくてはならない場面が何度もあり、ここで決断を伴うリーダーシップを経験できたことも、その後の会社員生活に大いに役立っている。


自分が成長したと実感した3つの場面には、全て一生懸命に考えてそれを実践したという共通点がある。

タイトルに書いたように、文章を漫然と書くだけでは、慣れる以上の成長を得るのは難しい。書くのならば、一生懸命に考えて、考えたことを今度はしっかり伝わるように整理したり工夫を凝らしたりして、文章を作りあげなくてはならない。

そんな作業を数ヶ月、もしくは1年以上継続して、ようやく少しだけ成長したなあと実感できることなのだ。


考えただけではダメだと言う人がいる。もちろんその通りで、考えたことを実践しなくては成長には結びつかない。

けれど、考えるだけの人は、当然自分が行動を起こしていないことは分かっているし、考えるだけでは成長しないことも知っている。

問題なのは、深く考えずに行動して、多少の慣れを経験しただけで、成長したと勘違いすることではないだろうか。

闇雲に行動しても、実質的な成長を得ることは難しいと僕は考える。熟慮したうえで行動を伴わせること、さらにそれを継続させること。成長とはそんな苦しい作業の先にあるものであって、手軽に得られるものではないのである。

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